西麻布とは何か?麻布エリアに潜むカースト制度とは!?

コラム
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しばしばネットや雑誌でも話題になる「西麻布」。

都心に長く暮らしている人なら耳馴染みがあるかもしれませんが、地方に住んでいる人にとっては名前だけが独り歩きしている謎のエリアでしょう。

私は静岡から南麻布に引っ越してきました。せっかくなので近所の「西麻布」について、街の雰囲気や歴史、そこに根強く残る“麻布カースト”について、実際に暮らして分かったことを書いてみたいと思います。

「西麻布って華やかな街?」という誤解

雑誌やネットの記事で「西麻布特集」などを見ると、誰しも「きっと華やかな街なのだろう」と想像します。

しかし、実際に歩いてみると驚くほど地味で殺伐とした雰囲気です。

例えば、西麻布交差点近く。左手にあるのは名前も聞いたことのない国の大使館。近くに成城石井がリニューアルしてオープンしてはいますが、並んでいるのはセブンイレブンとうなぎチェーン店。オシャレさや賑やかさはほとんどなく、表参道や原宿のような華やかな大通りをイメージすると肩透かしを食らいます。

つまり、西麻布は「地名だけがブランド化してしまった街」。その実態は、夜に車で連れ立ってやって来る人たちのための“特別な社交場”としての顔が強く、日常的な生活の場としてはむしろ地味なのです。

西麻布はどこにあるのか?

そもそも「麻布エリア」と聞いても、東京に住んでいなかった頃は漠然と「六本木の近くかな?」程度のイメージしかありませんでした。

西麻布は港区に属しており、渋谷駅からはタクシーで5〜10分、自転車なら15〜20分、徒歩でも30分ちょっとで到着する距離。位置的には南青山、六本木、広尾、南麻布、元麻布に囲まれた中間にあります。

地方の人にも分かりやすく乱暴に例えるなら「渋谷と銀座と品川のちょうど中間」あたり。飲食店が多く、青山や表参道、六本木に隣接していることから“オシャレな街”と誤解されやすい立地です。

麻布エリアに存在する“カースト制度”

実は麻布エリアには、昔から暗黙の**カースト(格差)**が存在します。

同じ「麻布」と名が付いていても、土地の雰囲気・住民層・不動産価格はまるで異なり、それぞれの格差は非常に大きいのです。

上位カースト:元麻布・東麻布

もっとも上位に位置づけられるのは元麻布東麻布

特に元麻布は高台にある閑静な住宅街で、300平米を超える屋敷が並びます。地価は坪あたり500万〜900万円に達し、土地だけで2〜3億円は当たり前。麻布十番の坪200万〜400万円と比べても、その差は歴然です。

東麻布は目立たない地味なエリアですが、地主や旧来からの住民が多く、再開発もほとんどされていません。喫茶店やレストランすら少なく、静かな一軒家の街並みが続きます。外から軽々しく触れられない“深い歴史”を持つ土地とも言えるでしょう。

中堅カースト:南麻布(仙台坂・愛育病院周辺)

南麻布の高台、仙台坂や愛育病院付近も上位に準じる住宅街です。周辺には有栖川記念公園という都内有数の広大な公園があり、緑に囲まれた贅沢な環境。都心の利便性と自然の豊かさを両立できる稀少な場所です。

有栖川記念公園

商業エリア:麻布十番

麻布十番は賑やかな商店街と飲食店で人気がありますが、住む環境としては人通りと交通量が多すぎます。休日には観光客で溢れ返り、落ち着いて暮らすには不向きです。

低位カースト:古川橋周辺と西麻布全域

一方、最低カーストにあたるのが南麻布の古川橋近辺と西麻布全域です。

古川沿いはもともと工業地帯で、今も小規模な工場や倉庫、銭湯などが点在。白金エリアも高台の白金台はセレブ街ですが、低地の白金は工業地区の名残が色濃く残ります。

西麻布もまた、高級住宅地と呼ぶには無理のある街。地名の響きだけで「俺、西麻布のマンションに住んでるんだ」と誇ると、逆に“地方出身者バレ”してしまうリスクがあるので注意が必要です。


西麻布村とは…

では、西麻布のリアルな日常はどのようなものか。

率直に言えば、普通の人が気軽に楽しめるレストランはほとんど存在しません

代わりに目にするのは、年配の男性が女子大生や20代前半の女性を同伴して高級飲食店から出てくる光景。夜の西麻布は、そうした「接待」「パパ活」的な雰囲気を色濃く感じさせます。

つい先日も、清楚系の若い女性を連れた男性が広尾団地を指差しながら「ここ、結構いいマンションだよ。芸能人とか住んでてね」と得意げに話しているのを目にしました。西麻布は、そうした騙し騙され、欲望が渦巻く独特の社交エリアなのです。


麻布霞町から西麻布へ:歴史に刻まれた名前の変遷

現在「西麻布」と呼ばれるこの一帯は、かつて「麻布霞町(あざぶかすみちょう)」と呼ばれていました。明治5年(1872年)、武家地であった阿部家の下屋敷跡を中心に町割りが行われ、霞山稲荷(現・桜田神社)にちなんで「霞町」と名付けられたのが始まりです。

その後、町域は霞町・笄町・桜田町・三軒家町などに細分化され、昭和42年(1967年)の住居表示実施に伴い、これらの地域を統合して新たに「西麻布」という町名が誕生しました。

もっとも旧町名「霞町」は今も街のあちこちに名残をとどめています。たとえば霞町交差点の地名として今も使われており、また古くから住む人々や土地の文化を重んじる人々のあいだでは、今なお「霞町」と呼ばれることも少なくありません。

出典元:https://www.rehouse.co.jp/buy/mansion/bkdetail/F15AGA5E/

このように西麻布ではなく、あえて麻布霞町の名前をつけたマンションも存在します。価格は凄まじく、四半世紀の物件ですが古典建築のような荘厳な雰囲気で、3LDKの価格は10億円です。

こうした歴史を踏まえると、「西麻布」という響きだけに惹かれて評価するのは浅はかかもしれません。名前の背後にある文化や変遷を知ることで、街の印象はより立体的に見えてくるのです。

まとめ:西麻布の“名前”に惑わされないこと

ここまで見てきたように、西麻布は「高級住宅地」とは呼びづらい、実に地味で不思議な街です。

麻布エリアには歴史的に根付いたカーストがあり、元麻布・東麻布・南麻布の一部が高級住宅地として価値を保つ一方、西麻布はその“名ばかりブランド”に過ぎません。

もちろん、飲食や夜遊びのために訪れる分には話題性があります。しかし、「西麻布に住んでいる=ステータス」と思い込むのは危険。むしろ本当の都心の住民からは“田舎っぺ扱い”されかねないのです。

私自身、静岡から引っ越してきて初めてこの現実を知りました。

西麻布は、華やかなようでいて実は地味、日常の生活にはやや不向き。けれども「欲望が渦巻く街」としての顔は確かに存在しています。

西麻布という地名に振り回されず、麻布エリア全体の文脈を理解したうえでどう関わるか。それがこの街を正しく楽しむための第一歩なのだと思います。

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