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『一眼レフで雰囲気のある写真を撮る』ボディよりもレンズ選びが大切

高画質すぎる写真に飽きたら、古いカメラとレンズで「本物のレトロ」を楽しむ

年々デジタルカメラが高画質になっていくにつれて、なぜか反比例するように撮影する楽しさが減っている気がします。最新のiPhoneは画像処理まで含めれば一昔前では考えられなかったほど高性能になり、強力な手ブレ補正、高感度性能、複数枚の画像を合成するコンピュテーショナル・フォトグラフィーによって、肉眼ではかなり暗く感じる夜景まで簡単に撮影できるようになりました。ピントを合わせ、露出を考え、手ブレしないように構えてシャッターを切るという、昔のカメラでは当たり前だった失敗要素を、カメラ側が次々と消してくれています。

もちろん便利になったこと自体は素晴らしいです。しかし、何を撮っても明るく、シャープで、色鮮やかに写ってしまうと、今度は「写真を撮る」という行為そのものが少し退屈になってきます。そこで今回は、カメラ屋の中古コーナーの奥に転がっていそうな古いデジタル一眼レフと、少し癖のある単焦点レンズを使って、今だからこそ面白い「本物のレトロ写真」を撮ってみます。

なぜ若者はレトロフィルターを使う?

これほど写実性と再現性に優れたカメラや画像処理エンジンが普及したのに、若い人たちはなぜかレトロなフィルターを使っています。せっかくデジタルカメラが進化したというのに、わざと粒状感を加え、色を褪せさせ、光漏れを再現し、酷いものになるとフィルムを誤って感光させたようなエフェクトまで追加しています。技術者が何十年もかけてノイズを減らし、色を正確にし、解像度を高めてきた結果、ユーザーがアプリでノイズと色ズレを追加しているのですから面白いものです。

なぜレトロフィルターが魅力的に見えるのか考えてみると、カメラが高性能になりすぎて「目で見た現実」と「写真」の差が小さくなったことも理由の一つではないかと思います。現代のスマートフォンは、むしろ人間の目以上に暗部を持ち上げ、HDRで白飛びと黒潰れを抑え、被写体を認識して最適な処理までしてくれます。その結果、失敗は減りましたが、写真固有の癖も減りました。だからこそ、そのアンチテーゼとして不完全な描写や古い色調が新鮮に見えるのではないでしょうか。

古いデジタル一眼と古いレンズで本格的なレトロを楽しむ

そこで使うのが、Canon EOS 5Dという古いデジタル一眼レフと、ZEISS Planar T* 50mm F1.4 ZEという単焦点レンズです。EOS 5Dは2005年に登場した初代モデルで、今となってはかなり古いカメラです。中古なら数万円程度で見つかることがあり、スペックだけを見れば現在のカメラには到底かないません。一方、Planar 50mm F1.4は現代的なレンズほど何もかも完璧に補正する方向ではなく、特に開放付近では独特の柔らかさと収差を残しています。

この組み合わせが面白いです。高性能な最新カメラで撮影した写真に後から「Vintage」フィルターをかけるのではなく、撮影した瞬間から古いセンサーとレンズの光学特性が写真へ入り込みます。レンズの収差、逆光への弱さ、周辺部の描写、ボケ方、古いデジタル一眼特有の色調まで、全部ひっくるめて写真になります。欠点を後から追加するのではなく、最初から欠点のある道具を使うわけです。

比較するとiPhone 12 Pro Maxは恐ろしく優秀

まず比較用にiPhone 12 Pro Maxで撮影してみます。非常に写実的で、シャープかつコントラストの高い絵になります。何も考えずに撮ってもピントは合い、露出もほぼ適正で、明部から暗部までかなり広く残ります。記録写真として考えれば、文句のつけようがありません。

ポートレートモードを使えば、手前の被写体をくっきり残しながら背景をぼかし、一眼レフの大口径レンズで撮ったような写真まで作れます。登場直後のポートレートモードは髪の毛や物体の境界判定が不自然で、とても本物のボケには見えないことがありました。しかし2021年にもなると画像処理と被写体検出の精度が大幅に上がり、ぱっと見ただけでは違和感が少ないところまで来ています。

ただ、あまりに優秀なので面白味がありません。目の前にあるものを「正しく記録する」という意味では圧倒的ですが、撮影者が何かを失敗する余地まで少なくなっています。

ZEISS Planar T* 50mm F1.4 ZE × Canon EOS 5D

そこでEOS 5DにPlanar 50mm F1.4を装着して撮ってみます。

めっちゃかわいい!

色味と境界線の溶け方がiPhoneとは全く違います。前後のボケが柔らかく、本来は硬いはずのガラスまで溶けてしまったように見えます。現実を正確に複製しているというより、映画の一コマを切り取ったような描写です。

別の写真では、プラハのカレル橋で画家が水彩画を描いているようなタッチになりました。輪郭そのものが少し溶け、バラの絵だけが不思議なくらい浮かび上がり、それ以外は意図的にぼかしたように見えます。もちろんカメラが「芸術的にしよう」と画像処理しているわけではありません。レンズの光学特性だけでこうなるところが面白いです。

収納棚のガラス越しに撮影しても独特の雰囲気になります。吸い込まれそうな深い青は彩度が低く、落ち着きがあり、重厚な存在感があります。その横にある切子細工のガラスは、途中で細部を描くのが面倒になった画家の作品のように、途中から抽象画へ変わっていきます。

拡大すると突然、違う世界が現れる

無垢紫檀キャビネットの扉にある彫刻を撮影し、後から拡大してみると、今度はその細かな描写に驚きます。開放ではあれほど柔らかかったPlanarも、条件を変えると細かな点や木材の表情をかなり拾います。全体では柔らかく見えていた写真の一部に、突然細密画のような領域が現れる。この均一ではない描写が面白いです。

生活感あふれるベッド横を何気なく撮っただけの写真でも、「冬の昼過ぎなんだな」と思わせる色になります。光が入ってくる角度、少し低い色温度、影の沈み方によって、写真を見ただけで季節や時間帯まで想像できます。最新カメラなら暗部を持ち上げ、ホワイトバランスを整えて、もっと「正しい」写真にしてくれるのでしょう。しかし、その正しさによって冬の午後らしい空気まで少し消えてしまうことがあります。

ZEISS Planar T* 50mm F1.4 ZEは、F1.4の開放付近では幻想的な柔らかさを見せますが、少し絞ると性格が変わります。彩度が低く、少し沈んだ、古いフィルム写真を思わせるような描写になります。それが今となっては逆に新鮮です。一本のレンズなのに、絞りや光の条件を変えるだけでかなり違った表情になります。

何でもない昼食まで写真にしたくなる

お昼に雑に淹れた自分用のアイスティーを撮影してみても、拡大すると光が差し込んだ部分だけがきれいに反射しています。お昼ごはん代わりに冷凍ポテトを揚げただけの写真も、しっかり絞って撮ると今度は硬質な描写になります。被写体としてはどうでもいいものなのですが、「このレンズならどう写るのだろう」と思うと、とりあえずカメラを向けたくなります。

これが古いカメラとレンズを使っていて一番面白いところなのかもしれません。最新カメラで最高画質を求めると、今度はこちらも「撮る価値のある被写体」を探してしまいます。しかし古いカメラでは、ベッド、アイスティー、冷凍ポテト、家具といった日常のどうでもいいものまで被写体になります。写真の目的が「きれいな写真を作る」ことから、「この道具を通すと世界がどう見えるのか」に変わります。

このレンズ一本だけで一年間ライフログを撮ったら、かなり面白いと思います。同じ部屋でも冬と夏では光が違い、朝と夕方でも色が違う。最新スマートフォンなら画像処理によってある程度均質化されてしまう差を、古いカメラは良くも悪くもそのまま残してくれます。一年後に写真を並べたら、自分が見ていた世界とは少し違う「Planarを通して見た一年」が出来上がりそうです。

高画質に飽きたら、あえて不便なカメラを使う

最新のボディと最新のレンズを組み合わせれば、制限はどんどん少なくなります。暗くても撮れる、手ブレもしない、ピントも自動で合う、顔や瞳まで認識する、逆光でもHDRで救ってくれる。報道写真や仕事の撮影であれば、これほどありがたい進化はありません。

しかし趣味として写真を撮る場合、必ずしも「正確に写ること」が一番楽しいとは限りません。ピントを外す、白飛びする、色が転ぶ、開放では輪郭が溶ける。それらはカメラとして見れば欠点ですが、写真表現として見ると個性になります。現代のスマートフォンでレトロフィルターを使いたくなるのも、完璧になりすぎた写真へ、もう一度こうした偶然性を戻したいからなのかもしれません。

高画質に少しうんざりしてしまった人は、新しいカメラを買う代わりに、カメラ屋の中古コーナーで10年、15年前のボディや古いレンズを探してみるのも面白いと思います。数万円の古い機材が、最新の数十万円のカメラより「写真を撮りたい」という気持ちを強くしてくれることがあります。

高性能なカメラで古い写真を再現するためにフィルターをかけるくらいなら、最初から古いカメラを使ってしまう。

そんな遊び方も、なかなか楽しいですよ。