「かつてインターネット上には、今のような広告がほとんどなかった」と言ったら、今の若い人は驚くと思います。
正確には、インターネット広告そのものは1990年代半ばにはすでに存在していました。ただ、今のようにページを開けば広告が表示され、検索結果にも広告があり、動画を再生すれば広告が入り、SNSをスクロールしていても広告が流れてくる、という世界ではありませんでした。少なくとも個人がインターネットを使っている感覚としては、広告の存在感は今とはまったく違っていたと思います。
ちなみに、1997年のINTERNET Watchの記事では、電通が推計した1996年の国内インターネット広告費は約16億円と紹介されています。検索サイトやメール新聞など約160サイトを対象にした調査で、この頃からすでに広告の仕組みはありました。私が懐かしく思うのは、広告が本当にゼロだった世界というより、個人が好きなことを公開しているサイトを、あまり商売を意識せず見て回れた時代なのだと思います。
世紀末の1999年頃までは、インターネットもまだ現在ほど一般家庭に浸透していませんでした。国内では1999〜2000年頃からADSLの商用サービスが始まり、2001年にYahoo! BBが登場すると、常時接続が一気に身近になっていきます。駅前などでYahoo! BBのモデムを配っていた「パラソル部隊」を覚えている人もいるはずです。

それまでは一部のマニアを中心に、「ダイヤルアップ接続」といって電話回線を使ってインターネットへ接続していました。検索も、今のようなロボット型検索エンジンが圧倒的な主流ではなく、初期のYahoo!のような「ディレクトリ型検索」が大きな役割を持っていました。スタッフが登録したサイトをカテゴリから探し、そこから目的のサイトへ移動するというものです。
携帯電話では、NTTドコモのiモードが1999年にサービスを開始しました。iモードには公式メニューに掲載されたサイトがあり、そこからコンテンツを探していく使い方が中心でした。実際にはURLを入力して一般サイトを見ることもできましたが、パソコンのWebとはかなり違う世界でした。着メロや有名人の待ち受け画面などを月額300円程度で購入し、16和音や32和音の着メロを自作する人もいました。「うたぼん」のような楽譜雑誌もあり、パソコンサイトと携帯サイトは、ほとんど別々の文化として動いていたように思います。
ADSL以前、インターネットは「つなぎに行く」ものでした
今では考えられませんが、接続料金が従量制だった頃は、インターネットへ接続して目的のサイトを開いたら、いったん回線を切るということまでありました。電話回線を使っているため、インターネットへ接続している間は電話が使えない家庭もありました。
「テレホーダイ」のように夜間の指定時間帯を定額で利用できるサービスもありましたが、本格的な常時接続が当たり前になるのはもう少し後です。2000年には完全定額制のフレッツ・ISDNも本格的に始まり、「接続時間を気にせずインターネットを使う」という環境がようやく現実的になっていきました。
ここで少しややこしいのは、ISDNという回線の種類と、定額で接続できるサービスは別だったことです。ISDNを契約すれば自動的に使い放題になるわけではなく、回線の速さだけでなく、どの料金プランで接続するかも大きな問題でした。
ただしISDNでも通信速度は64kbps、2回線を束ねても128kbps程度です。今とは比較にならないほど遅く、VGAサイズ、つまり横640×縦480ドット程度の画像でさえ、回線やサーバーの状況によっては表示を待たされることがありました。「モーニング娘。」の画像を1枚開くために、じっと待っていたような時代です。

Twitter、現在のXで「インターネット老人会」などという話題になると、PCカードやExpressCardの写真が出てくることがあります。当時のノートパソコンでは有線接続が基本で、PCカード型のモデムやLANカードを使うことも一般的でした。USBが今ほど何でも接続できる共通規格になる前で、SCSIインターフェイス、SmartMediaアダプター、コンパクトフラッシュアダプターなど、とにかくいろいろな規格がありました。
👩🏻✈️PCカード版は持ってるけど、ExpressCard版は初めて見たw🪪 https://t.co/kE7dZO6n0F pic.twitter.com/jnSCPqNXfD
— 👩🏻✈️市川ゆり子🙎🏻♀️秋葉原在住💉×5 (@IchikawaYukko) October 30, 2022
2001年頃からADSLが急速に広がり始めると、インターネットの使い方そのものが変わっていきます。接続するたびに電話料金を気にしていた世界から、パソコンの電源を入れればいつでもネットにつながっている世界へ移っていきました。
【お知らせ】ザウルスの使い方相談専用フリーダイヤルを、3/31をもって終了させていただきます。なにとぞご容赦ください。また長年のご愛顧、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。 https://t.co/yAjfjS3PmQ pic.twitter.com/xUQQlNpwI1
— SHARP シャープ株式会社 (@SHARP_JP) March 3, 2016
ADSL以前にも、一部のザウルスではメールの送受信やWebブラウジングなど、かなり先進的な機能を搭載していました。少し話が脱線しますが、現在のスマートフォンにつながるような機能を早い段階から実現していたのが、ザウルスをはじめとするPDA(Personal Digital Assistant)です。フルカラー液晶、タッチペン、インターネット接続、スケジュール管理などを搭載し、当時の日本製PDAにはかなり先進的な製品がありました。
1990年代後半はネットで何をしていた?
さて、1990年代後半のインターネットを振り返ってみます。
プロバイダーから割り当てられたメールアドレスを使い、メーラーは「Outlook Express」。「まぐまぐ」のメールマガジンに登録して、「窓の杜」や「Vector」で無料ゲームやソフトを探すというのも定番でした。
当時は現在のような音楽ストリーミングサービスなど存在せず、一部のマニアがCDをリッピングしてMP3へ変換していました。無料インディーズ音楽配信の「muzie」や、MIDIを公開する個人サイトもありました。例えば『となりのトトロ』のBGMなどを耳コピしてMIDIでアレンジし、個人が公開しているようなサイトも大量にありました。RealPlayerやWindows Media Playerなどで、そうしたファイルを再生した記憶があります。
ちなみにMIDIは、歌や楽器の音そのものを録音したファイルではなく、「どの音を、いつ、どれくらいの強さで鳴らすか」という演奏情報です。受け取った側の音源がそれを演奏するため、録音した音声よりデータを小さくでき、通信速度が遅い時代でも扱いやすいものでした。同じデータでも使う音源によって聞こえ方が変わるので、今のように同じ音源をそのまま配信する感覚とは少し違います。
2000年代初頭になると、有名な「おもしろFLASH」の文化も広がっていきます。学校のパソコンで見ている人までいるほどで、ハウスミュージック風にした「ムネヲハウス」なども話題になりました。
掲示板とチャットで、知らない人と話していた時代

明確な時系列までは覚えていないのですが、当時は「メルトモ募集掲示板」というものが大量に存在しました。初めのうちは、さまざまな世代の人が一つの一覧に投稿していましたが、利用者が増えるにつれて細分化され、地域、年齢、趣味などに分かれた掲示板が大量に作られていきます。
今ではなかなか考えにくいのですが、直接メールアドレスを記載して、ハンドルネームと簡単なプロフィールを登録する形式だったように記憶しています。私は当時10代前半だったので利用していませんでしたが、盛り上がりはかなりのものでした。
利用しなかった理由は何のことはなく、「10代前半」というカテゴリーがほとんど存在せず、大抵のサイトが「20代〜」だったからです。

その代わり、チャットサイトは当時とても流行していました。現在なら子どもの安全面からかなり慎重に扱われるようなサービスですが、当時は「小学生ルーム」「中学生ルーム」のように、10代でも気軽に参加できる場所が数多く存在していました。
初期のチャットサイトでは、自分でリロードボタンを押さなければ新しい発言が表示されないものもありました。それが次第に自動更新されるようになり、文字サイズを変更したり、色を変えたり、さまざまな機能が追加されていきます。
Yahoo!チャットでは文章で会話しながら、一部の人がボイス機能を使って話していました。今振り返ってみると、現在のXのスペースなどに少し近いところもあった気がします。
個人ホームページの時代の黎明期から終焉まで
時はまさに個人ホームページ時代を迎えようとしていました。現在35歳から45歳くらいの人の中には、初歩的なHTMLなら今でも覚えているという人が一定数いると思います。<frame>、<center>、<font>など、現在では廃止されたり非推奨になったりしたタグを使い、プラモデルを組み立てるような感覚で個人サイトを作って楽しむ人が大勢いました。
「infoseek isweb」や「Yahoo!ジオシティーズ」「フリーティケットシアター」など、無料で数MB程度の容量を使えるサービスもありました。当時は現在のような高画質写真や動画を大量に置くこともなかったため、個人サイトであればそれでも十分でした。
GIF形式のかわいい素材でサイトをデコレーションすることも一般的でした。「素材サイト」でフリー素材を探し、お礼としてリンクバナーを貼り、自分のサイトへ使わせてもらう。そうした個人サイトが雨後の筍のように増えていきました。

それだけでは飽き足らず、JavaScriptで文字を流したり、サイトに入った瞬間にMIDIが再生されたり、オリジナルの音楽を聞かせたりするサイトまで登場します。うろ覚えですが、個人ホームページ文化の熱気という意味では、2000〜2004年頃がかなり印象に残っています。
後半になるにつれて装飾も激しくなり、中には自分でCGIを設置して、掲示板、アクセスカウンター、メールフォームなどを組み込み、企業サイト顔負けのページを作る人もいました。無料CGIを利用しながら、かなり複雑なサイトを作る人まで出てきます。
「ネットでは個人情報を出すな」が常識でした
この頃、2ちゃんねるはかなりアンダーグラウンドなサイトという印象があり、「sage進行」「半年ROMれ」「香具師」など、初めて入った人には何のことか分からない独自の言葉やルールが大量にありました。
この時代のインターネットを知っている人は、かなり早い段階で次のようなことを教えられたと思います。
・インターネット上では、本名や住んでいる場所を簡単に教えない。
・自分の顔写真や家族の写真をむやみに公開しない。
・インターネットで知り合った人と簡単にオフラインで会わない。
今とはかなり感覚が違います。後に実名公開を前提とするFacebookなどが登場した時、こうした世代の人たちが驚いたのも無理はありません。
当時は一度顔写真を公開すると、それが勝手に加工されたり、別の掲示板へ転載されたりすることも珍しくありませんでした。ネットアイドルTERUMIや、後にネット上で「ぼっさん」と呼ばれた人物の写真のように、一度広まった画像が半ばフリー素材のように扱われてしまうことさえありました。現在なら当然問題になるような扱われ方です。
URLにも罠が多く、「ブラウザクラッシャー」、いわゆるブラクラと呼ばれる、ブラウザのウインドウを大量に開いたり、操作しにくくしたりする悪質なページもありました。
また当時はP2Pソフトが広く知られるようになり、WinMXやWinnyなどを利用した違法ファイル交換も大きな社会問題になりました。2000年代半ばには「仁義なきキンタマ」と呼ばれる、パソコン内のプライベートなファイルを外部へ流出させるウイルスも話題になります。その後も原田ウイルス、イカタコウイルスなど、P2P利用者を狙ったマルウェアが次々に問題となりました。
個人サイトの人気に陰りが
このまま何十年も個人サイトのブームが続くようにも感じていましたが、数年もすると少しずつ変化が見えてきました。友人同士でリンクバナーを交換してサイトを行き来する文化は残りつつも、それをもっと簡単にしたサービスが人気になっていきます。
特に「前略プロフィール」や「魔法のiらんど」のように、HTMLをほとんど知らなくても使えるサービスが若い世代に広がりました。メールアドレスなどで登録すれば、自分のページを簡単に持つことができ、あとは少し設定するだけで公開できます。
それまでのインターネットでは「個人情報を出さない」ことが基本で、多くの一般ユーザーはハンドルネームを使っていました。一部の研究者や著名人などを除けば、一般人が実名と顔写真を出しながらホームページを運営することは、今ほど普通ではありませんでした。
ところが「前略プロフィール」や「魔法のiらんど」のようなサービスを10代の若い利用者が使うようになると、少しずつ現代のSNSに近い感覚へ変化していきます。1999年にはカメラを搭載した携帯電話が登場し、2000年代前半にはカメラ付き携帯が急速に普及しました。自分の顔写真を載せたり、実名に近い名前を公開したり、友達の名前を出したりする人も増えていきます。
また、「ザ掲示板 BBS(通称ザビビ)」「Yahoo!チャット」「何でもオリジナルランキング」など、2ちゃんねる以外にも多くのコミュニケーションサイトがありました。
個人サイトの喪失
皆さんもご存知の通り、2019年には「Yahoo!ジオシティーズ」が終了し、移転されなかった数多くの個人サイトが消えてしまいました。
2000年前後というのは、第二次世界大戦、太平洋戦争の終結からまだ55年ほどしか経っていません。戦争へ20代で出兵した人であれば、当時75〜80歳くらいです。
確か「トラ爺」というおじいさんだったと思うのですが、高齢になってから自分が戦争へ行った記憶を個人サイトで公開している方がいました。小学校では戦争について授業で学びますが、何人もの人によって編集され、校正された教科書の戦争記録とは違い、実際に鉄砲を持って戦地へ行った本人が書いている文章は情報の濃さがまったく違いました。
初めて人をあやめてしまった時、どれほど罪悪感で手が震えたのか。そうした記憶が、当時のわずかに残された写真と一緒に公開されていました。今になって、そのサイトを簡単には見つけられなくなってしまったことは、本当に残念です。
同じように、退職後の趣味としてホームページを作っていた方はたくさんいました。今なら100歳を超えていてもおかしくない世代の人たちです。運営者自身が更新できなくなり、さらにサービスまで終了すると、それまで公開されていた大量の文章や写真も一緒に消えていきます。
Internet Archiveなどを利用すれば発掘できるものもありますが、当時のように検索して簡単に開ける状態ではありません。
ただ、アーカイブも万能ではありません。文章のページは残っていても画像が抜けていたり、リンク先まで保存されていなかったりすることがあります。特にサーバー側で動く掲示板や検索機能などは、画面を保存しただけでは元通りに使えません。サイトの一部が残ることと、当時のサイトをそのまま歩き回れることは、やはり別なのですね。
mixiやFacebookなどSNSの台頭
HTMLを書いたり、サーバーへファイルをアップロードしたりする必要のある個人ホームページは、徐々に手間のかかるものになっていきました。そして「Web 2.0」という言葉が盛んに使われるようになり、自分でサイトを作るのではなく、企業が用意したサービスの中で個人が発信する時代がやってきます。
この流れの中で、ブログが普及したことも大きかったと思います。例えばニフティの「ココログ」は2003年12月に始まっています。HTMLファイルを一枚ずつ作らなくても、管理画面に文章を書けば更新できる。個人ホームページからいきなりSNSへ移ったというより、その間には、日記や記事をもっと簡単に公開できるようになった段階もありました。
2004年にはGREEやmixi、Facebookが始まり、2006年にはTwitterやモバゲータウンが登場しました。Yahoo!メッセンジャーやWindows Messengerなど、個人同士の連絡にもこうした専用ツールを使うようになります。
Facebookは長らく日本語化されておらず、日本で使い始めた人も英語の画面を使っていました。当時の日本ではまだ利用者も限られていて、私の記憶では、海外との交流がある人や新しいサービスを積極的に試す人が多かった印象があります。
屋外からのインターネット接続も少しずつ現実的になっていきます。AirH”、後のAIR-EDGEのPCカードをノートパソコンに挿せば、外出先からでもインターネットへ接続できるようになりました。ソニーのVAIOやLet’s noteなど小型のノートパソコンも増え、それを持ち歩いて外でインターネットを使うこと自体が少し格好よく見えた時代でもあります。

2000年代半ばからはSkypeを利用する人もかなり増えました。特にネットをよく使う若い人の間では、友人同士の連絡やオンラインゲーム中の会話に使われ、今でいうDiscordに近い存在だったと思います。Skypeと掲示板を組み合わせ、見知らぬ人同士で通話する文化もありました。
当時は現在のようにLINEがありません。ネットを頻繁に使っている人なら、とりあえずSkypeを入れているという人もかなり多かった印象があります。
いよいよMDプレイヤーからMP3プレイヤーへの移行も進み、「携帯動画変換君」や「午後のこ〜だ〜」などがマニアの間で利用されました。MP3で飽き足らない人はFoobar2000をインストールして、FLAC+CUEなどの可逆圧縮音源でCDを管理するようにもなります。
ちなみにFLACは、音声データを失わずに圧縮し、元のデータへ戻せる形式です。一緒に使われるCUEは音声そのものではなく、曲の区切りなどを記録する情報です。アルバムを一つの音声ファイルとして保存しながら、曲ごとに選んで再生するような管理にも使われていました。
同じ時期、携帯モバイル端末の「W-ZERO3」も登場しました。発売は2005年末です。一般向けの大ヒット商品というより、当時としてはかなり熱心なユーザーに支持された端末でしたが、私は静岡からわざわざ秋葉原まで買いに行きました。
Windows Mobileを搭載し、QWERTYキーボードを引き出して文字を入力でき、無線LANにも対応しています。今振り返ると、スマートフォンが一般化する少し前の、何とも面白い時代の製品でした。
この頃から、外にいてもインターネットへつながることが少しずつ当たり前になっていきます。そして2008年、ソフトバンクからiPhone 3Gが発売されました。ここから先のインターネットについては、皆さんも比較的よくご存知だと思います。
1990年代の「インターネット黎明期」とは何だったのか
「一度インターネット上に公開されたら、未来永劫、生涯残り続ける」
昔、インターネット上ではこのようなことがよく言われていました。良いことも悪いことも、素晴らしい作品も、ひどい作品も、一度ネットへ公開されたものは永遠に残り続けると考えられていました。
ところが四半世紀以上が経過した今、当時のインターネットはほとんど面影を残していません。1990年代から2000年代初頭にあった個人サイトの多くは消滅し、今ではSNSを中心としたコミュニケーションが主流です。企業サイトも高度に商用化され、テキスト中心だった時代から、InstagramやTikTokのように写真や動画を中心としたサービスへ大きく変わりました。
ふと、1996年頃にWindows 95で遊んだRPGゲームの名前を検索したことがあります。しかし当時のゲームについての情報は、ほとんど出てきませんでした。あれほど大量にあった「Windows 95用フリーゲーム」を紹介するサイトも、今ではごく一部が残っているだけです。
さらに、サイトが消えることとは別に、再生する環境がなくなる問題もあります。Adobe Flash Playerは2020年末にサポートが終了し、2021年1月12日からはFlashコンテンツの実行もブロックされました。作品のファイルだけが手元に残っていても、昔のようにブラウザで開くだけでは見られないことがあります。文章や画像だけでなく、それを動かす仕組みまで残さなければならないのが、ネット文化を保存する難しさなのだと思います。
インターネットが完全に普及した今、振り返ってみると、代謝の速度が凄まじいです。
「ネット上の黒歴史は未来永劫残る」と言われていましたが、実際にはサービスの終了、サーバーの解約、検索エンジンやアルゴリズムの変更などによって、普通の個人が昔公開した情報は、想像していた以上に簡単に見つからなくなります。
サービス期間の長いX(旧Twitter)でさえ、10年以上前の話題を検索しようとすると、なかなか思うように出てこないことがあります。
ただ、見つからなくなった情報が、完全に消えたとは限りません。誰かが保存した画像や転載した文章が、別の場所に残っている可能性はあります。だから「どうせ消えるから何を公開してもいい」という話ではなく、残ってほしい文化が消える一方で、消したい情報はどこかに残るかもしれない。そのあたりも、インターネットの扱いにくいところです。
今になって思うと、ネット上の情報というのは、想像以上に短い運命なのだなと感じてしまいます。
ベッドでゴロゴロしながらTikTokを開いていると、突然「Bad Apple!!」が流れてきて、懐かしさに泣きそうになりました。有名な影絵PVが投稿されたのは2009年なので、今では17年ほど前になります。
本、小説、雑誌のように紙へ印刷されたものであれば、何十年後かに古本屋や倉庫から発掘される可能性があります。しかしインターネット上の文化は、誰かがアーカイブしたり、個人的に保存したりしない限り、これからもどんどん消えていくのかもしれません。
実際に1990年代の日本のインターネット事情を改めて調べてみたのですが、意外にも当時の空気まで含めて語っている文章はそれほど多くなく、少し驚きました。
私は1989年生まれなので、1990年代前半のことまで明確に覚えているわけではありません。ただ、小学生から中学生の頃に自分が実際に見たインターネットの様子については、まだそれなりに記憶が残っています。
今回はその記憶をたどりながら、思い出せる範囲で当時のインターネット事情を書いてみました。
参考・出典
本文は筆者自身の記憶や体験を中心に、サービスの開始・終了時期、通信方式、音楽データの仕組みなどを以下の資料で補足しています。個人サイトの名称や当時の利用状況には、記憶に基づく部分もあります。
通信サービス・端末・インターネット文化
INTERNET Watch「電通が、インターネット主要サイトの推定広告費を発表」(1997年3月28日)/ソフトバンク「ADSL、22年の歴史」/ソフトバンク「ブロードバンド総合サービス『Yahoo! BB』の提供開始について」(2001年6月19日)
NTT「NTTグループの歩み」/NTT「事業構造の変革を遂げてきたNTTグループ」/LINEヤフー「沿革・Yahoo! JAPAN」
ソフトバンク「沿革」/シャープ「W-ZERO3」発表時の製品資料/DeNA「モバゲータウン」サービス開始の発表(2006年2月7日)
ニフティ「沿革」―ココログは2003年12月に提供開始/Yahoo!ドメイン「ジオシティーズオプション機能サービス終了について」
音楽データとウェブ文化の保存
音楽電子事業協会「MIDIとは」/Xiph.Org「FLAC FAQ」/Adobe「Flash Player End of Life」/Internet Archive「Using the Wayback Machine」
元記事の画像・埋め込み資料
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Yahoo! BBの画像:ソフトバンク公式特集/PCカードの画像:Yahoo!オークション掲載ページ/メルトモ募集掲示板の画像:元記事に掲載されていたサイト/チャット画面:チャベリ旧URL・チャベリ
個人サイトのランキング画面:Internet Archiveに保存されたmusic-flash.comのページ/Skypeの画面:元記事に掲載されていたSkype設定解説ページ
Twitter投稿:@IchikawaYukko(2022年10月30日)/シャープ公式 @SHARP_JP(2016年3月3日)/動画:元記事に埋め込まれていた「Bad Apple!!」の動画