Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura,
ché la diritta via era smarrita.E quanto a dir qual era è cosa dura
esta selva selvaggia e aspra e forte
che nel pensier rinnova la paura,私たちの人生の歩みの半ばで
私は暗い森の中に迷い込み、
まっすぐな道を見失っていた。その森がどんなところだったかを語るのは、なんと苦しいことだろう。
荒々しく、険しく、恐ろしい森で、
思い出すだけで再び胸に恐怖がよみがえるのだから。(Dante, Divina Commedia, Inferno I, 1–6)
迷いのない人生などありません。
けれども、誰しもが深い森をさまよう体験をするとは限りません。
もしかすると、私たちはすでに現世において、天国も煉獄も地獄も、それらの断片を見ているのかもしれません。
ダンテは『神曲』の中で、原罪も贖罪も、さらには無関心さえ罪としながら、悔い改める者には煉獄への道を示しました。その旅路では、スコラ学派も聖フランチェスコも互いを補完し、尊重し合う姿を描き、苦しい現世にあっても光を導くものでした。
つまり一面的な側面から世界をみるのではなく、多角的に、また俯瞰をして、結果的により良い方向に向かえるようにと祈っています。このサイトは、私の個人的な手記であり、同時に「私たち」の物語でもあります。
そうした意味から、私はこの場所を Nostra Vita(私たちの人生) と名付けました。
私たちは生きるなかで、時に立ち止まり、見えない道を探すことになります。
けれども、迷いの森の奥にこそ、新しい光の兆しが潜んでいるのかもしれません。
この場所は、そんな歩みの記録を静かに積み重ねていくためのものです。
日々の体験、思索、そして小さな発見を、ここに書き留めていきます。
「Nostra Vita(私たちの人生)」という名のもとに、個の声でありながら、読む人の心に重なり合う瞬間を生み出すことを願っています。
これは一冊の本でもなければ、ニュースを速報する場でもありません。
ただ、時の流れの中で拾い上げたかけらを並べ、そこにひとつの輪郭を与えてみる、そんな試みです。
よろしければ、あなた自身の「歩み」と重ね合わせながら、ときどきこの森を訪れていただけたら幸いです。


