皆さんはプーアル茶をご存じでしょうか。おそらく多くの日本人が「飲んだことがある」と答えると思います。
中華料理店で食後に出てくるお茶や、ペットボトルに入った“健康志向”のプーアル茶など、どこかで一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。
しかし、今回取り上げる「投資対象としてのプーアル茶」は、それらとはまったく別の存在です。
本格的なプーアル茶はヴィンテージ品として流通しており、日本国内ではほとんど見かけることがありません。
あったとしても、横浜中華街などの中国茶専門店にわずかに陳列されている程度です。
そんなマニアックなプーアル茶ですが、中国では日常的に親しまれ、深く愛飲されています。
プーアル茶には大きく分けて「生茶」と「熟茶」があり、日本で一般的に流通しているのは、すでに発酵を終えた熟茶の散茶(バラ茶)です。
一方で、本格的なものは「餅茶(ピンチャ)」と呼ばれる円盤状の形をしており、少しずつ崩して飲むのが伝統的なスタイルです。

台湾 九份茶坊 筆者撮影
今回の記事では、なぜこのプーアル茶が投資や投機の対象となったのか、そしてそもそもプーアル茶とは何なのか――
その背景をわかりやすく解説していきます。
プーアル茶の基本分類
一つは長期熟成によって風味を深めていく「生茶(シェンチャ)」、もう一つは人工的に発酵を進めて短期間で仕上げる「熟茶(シューチャ)」です。
普段私たちが手軽に飲むプーアル茶の多くは熟茶で、すでに発酵が終わっており、1年から数年のうちに飲み切るのが理想とされています。
一方で、生茶は時間をかけて自然発酵し、空気や微生物の力でゆっくり熟成していくため、適切な環境であれば5年、10年、あるいは30年以上寝かせることができます。
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生茶(Shēng chá/生プーアル) |
熟茶(Shú chá/熟プーアル) |
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発酵方法 |
自然発酵(経年による緩慢な酸化・微生物発酵) |
人為発酵(「渥堆」法による人工的なカビ・菌の繁殖) |
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主な製造工程 |
日干し → 蒸して圧餅 → 長期熟成 |
日干し → 渥堆発酵 → 蒸して圧餅 |
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熟成期間・保存性 |
数年〜数十年の熟成が可能(長期保存向き) |
1〜5年程度で完成(長期保存には不向き) |
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香味の特徴 |
若いと渋みと草香が強く、熟成で甘味と香ばしさが増す |
まろやかで土や木のような香り、苦味が少ない |
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投資性・価値 |
高い(古樹・限定品・ヴィンテージは投資対象) |
低い(日常飲用中心、価格安定) |
こうした生茶は味が年々まろやかになり、香りも深みを増すため、ワインやウイスキーのように「育てるお茶」として愛好家の間で高く評価されてきました。この生茶の中には、特定の茶樹(古樹)から採れる希少なものや、有名ブランドの限定ロットも多く存在します。
ヴィンテージ生茶は、今も高級品として取引され、保存状態や年代によっては数十倍の価値がつくこともあります。つまり、プーアル茶の世界では「飲むためのお茶」と「資産としての茶」が明確に分かれていたのです。
しかし、この“熟成によって価値が上がる”という特性が、やがて思わぬ方向へ進みました。
人々はお茶を味わうよりも「値上がりを待つ投資商品」として扱い始め、プーアル茶は金融商品のように売買されるようになっていきます。
この現象は数百万人を巻き込み、巨大なバブルを生み出しました。そして2025年、そのバブルは静かに、しかし劇的に崩壊します。
かつては「茶葉は金と等しい」と称され、数千万円で取引されることもあったプーアル茶ですが、2025年現在、その価格はピーク時の8割以上下落。
投資家や愛好家、茶商までもが壊滅的な損失を抱えています。

第二次バブル ― 「飲まないお茶」現象
2010年代後半、中国経済が好調になると再び投機マネーがプーアル茶市場に流れ込みました。
特に「古樹茶」と呼ばれる樹齢100年以上の茶葉が人気となり、1キロ300元だったものが10年で100倍以上に高騰。
広州市の芳村市場は“茶のウォール街”と呼ばれ、店頭には「投資」「回収」など金融用語が並びました。アプリでリアルタイムに価格が表示されるなど、もはや茶葉が株や仮想通貨のように取引される時代になっていました。
(出典元:https://www.stcn.com/article/detail/1057458.html)
一部では現物を受け渡さずに転売を繰り返す「先物的取引」も登場し、市場では「茶炒不喝(お茶は炒っても飲まない)」という皮肉が流行。つまり、誰も飲まないまま値だけが吊り上がっていったのです。

台湾の茶文化誌『茶藝』第68号。プーアル茶の熟成保存や市場動向を特集しており、当時の熱狂と投資ブームの様子を伝えている。台湾で筆者撮影
投機事件と価格操作
2021年頃からは、詐欺的な投機事件が相次ぐようになりました。
なかでも象徴的なのが「昌世茶」事件です。広州市・芳村の古橋茶街を拠点とするこの会社は、新しい高級プーアル茶を「将来高値で買い戻す」と宣伝し、500人以上の茶商や個人投資家から数億元(数十億円規模)の資金を集めたと報じられています。
しかし、その茶葉はわずか1週間で暴落。1提(357g×7枚)が5万元(約100万円)を超えていたものが、瞬く間に“紙切れ同然”の価値に。怒った投資家たちが市場に押しかけ、混乱が広がりました。
さらに、事件後の調査で「自作自演の売買」による価格操作が横行していたことも判明しました。
業者自身が取引を装い、自分の茶葉を高値で買い戻して価格表を更新。市場ではあたかも相場が上昇しているように見せかけていたのです。
まさに、“お茶版インサイダー取引”と呼ぶにふさわしい構図でした。
(出典元:https://www.yicai.com/news/101930046.html)
2025年崩壊に、価格8割下落
2021年に約3000万円で取引されていた「大益・軒轅号」は、2025年6月には620万円に急落。
ピーク比で80%以上の下落です。
かつては「倉庫に積んでおけば値上がりする」と信じられていた茶葉が、いまや「倉庫に山積みでも買い手なし」。市場全体では数兆円規模の価値が一夜にして蒸発しました。
広東省の東莞市では2025年上半期だけで623軒の茶店が廃業。6万8千人もの個人コレクターが市場から撤退したと報告されています。
(出典元:https://www.epochtimes.jp/2025/09/24429.html)
誰が損をしたのか?
被害を受けたのは投資家だけではありません。
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個人投資家:ローンを組んで茶葉を買った人々が破産。中には自殺者も。
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茶商・問屋:借金で仕入れた在庫が売れず倒産。
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生産者(雲南省):乱獲によって古樹茶が枯れ、環境破壊も発生。
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上場企業:大手「瀾滄古茶」は2024年に60億円超の損失を計上。
まさに生産から流通、投資まで連鎖的に崩壊したのです。
香港の「南華早報(SCMP)」は、「かつて硬通貨のように扱われたプーアル茶が、今では全銘柄が2019年以来の安値」と報じました。一方、国営メディアCCTVは「高級茶葉の乱高下は品質信頼を損ね、業界を傷つけている」と批判。
「茶は本来、飲んでこそ価値がある」という論調が広がっています。
(出典元:https://finance.sina.com.cn/)

プーアル茶投資はどうなるのか
プーアル茶投資の行方はどうなるのでしょうか。プーアル茶のバブルは、日本の国産ウイスキーの高騰とどこか似ています。本来は味わいを楽しむための文化であったはずが、いつしか「値上がり」だけを目的に資金が流れ込み、飲む人よりも“転売する人”が市場を支配するようになりました。
最初は一部の投資家グループが仕掛けた価格操作だったかもしれません。しかし次第に生産者、商人、倉庫業者までもが「上がるなら売ればいい」という空気に取り込まれ、結果として構造的な共犯関係が生まれていったように見えます。
日本のウイスキーがブームに乗って新しい蒸留所を次々と建て、「本当においしいものを届ける」というよりも「高値で売り抜ける」ことが目的化していったように、プーアル茶もまた“価値の幻想”に飲み込まれました。
けれども、ブームが去った今こそ、原点に戻る時なのかもしれません。倒産した工場や離れていく商人が増える一方で、静かに本当においしいお茶を作り続ける人たちが再び主役に戻る。市場が落ち着き、生産量が減っても、最後には「本物」だけが残る。
プーアル茶は、もともと時間とともに育つお茶です。市場が再び穏やかさを取り戻したとき、そこにはきっと、かつてのようにゆっくりと熟成し、静かに価値を深めていくプーアル茶の世界が戻ってくるのではないでしょうか。







