コラム

静岡パルコ閉店後はどうなるのか ― 若者の街としての役割を終えた静岡中心街の行方

2025年11月、静岡市中心部で長く営業してきた静岡PARCOが、2027年1月31日をもって営業を終了することが発表されました。静岡PARCOは2007年3月15日、かつての西武百貨店静岡店の建物を大規模に改装して開業した商業施設です。約20年にわたり静岡駅前の風景をつくってきた施設だけに、閉店の知らせを聞いて、ひとつの時代が終わるように感じた人も少なくなかったのではないでしょうか。

ただ、静岡PARCOの閉店だけを見ていては、静岡の中心街で起きている変化の全体像は見えてきません。振り返ればこの20年ほどの間に、SHIZUOKA109は静岡東急スクエアを経て「けやきプラザ」へ姿を変え、静岡マルイも営業を終了しました。かつて静岡の若者が服を買い、待ち合わせをし、休日を過ごしていた大型ファッションビルは、一棟ずつ別の役割へと変わってきたのです。

静岡市中心街

静岡の人が「おまち」と呼んできた場所

静岡市では、静岡駅北口から紺屋町、呉服町、七間町、御幸町、伝馬町、新静岡駅周辺へ広がる中心市街地を、昔から親しみを込めて「おまち」と呼びます。これは単なる俗称ではなく、現在でも静岡市が公式サイトで「おまち」という言葉を使うほど地域に定着しています。静岡駅、新静岡駅、県庁、市役所、商店街、百貨店、映画館、飲食店などが徒歩圏内に集まり、郊外のショッピングセンターとは違った「街へ出掛ける」という文化をつくってきました。

静岡県は東西に長く、浜松、静岡、沼津、三島など、それぞれの地域に独立した都市圏があります。そのなかで静岡市周辺に暮らす若者にとって、おまちは単に日用品を買う場所ではありませんでした。少しきれいな服を着て出掛け、友人と待ち合わせをし、服や雑貨を見て、カフェや映画館へ寄る。とりわけ2000年代から2010年代前半のおまちには、そうした休日を成立させるだけの商業施設が密集していました。

その象徴だったのが、静岡PARCO、SHIZUOKA109、静岡マルイです。もちろん新静岡センター、のちの新静岡セノバ、松坂屋静岡店、静岡伊勢丹、駅ビルパルシェなどもありましたが、この三施設には特に若い世代向けのファッションやカルチャーが集まっていました。東京の流行を地方都市でも比較的早く見ることができ、「あのブランドを見たいから街へ行く」という買い物の目的そのものをつくっていた時代です。

若者が集まったSHIZUOKA109

SHIZUOKA109時代の建物
2014年に撮影

なかでも分かりやすく若者文化を象徴していたのがSHIZUOKA109でした。現在のけやきプラザが入る建物は1984年に完成し、当初は「ライブアピタ静岡」、その後は「生活倉庫静岡店」「FIVE-J」と時代に合わせて何度も姿を変えています。2006年には地下1階に「SHIBUYA109 DREAMS」が登場し、翌2007年10月には建物全体がSHIZUOKA109として開業しました。

東京・渋谷の109という名前がそのまま静岡へやって来たこと自体、当時はかなり大きな出来事でした。ファッションを目的に10代、20代が訪れ、建物の中を上から下まで回ってお気に入りのブランドを探す。今のようにスマートフォンで商品を検索し、その場で全国どこからでも注文できる時代ではありません。地方で実物を見て試着できることには、現在よりずっと大きな価値がありました。

静岡PARCOが開業したのも2007年です。同じ時期のおまちには静岡マルイもあり、若者向けのファッションビルが徒歩圏内で競い合っていました。どこか一棟へ行って買い物を終えるのではなく、109を見て、マルイへ移動し、PARCOへ寄るという回遊が成立していたのです。当時を知る人であれば、「今日はどこへ行こう」ではなく「とりあえず街へ行けば何かある」という感覚を覚えているのではないでしょうか。

109から東急スクエアへ――最初に変わり始めた若者向け商業

しかし、この形はずっと続きませんでした。SHIZUOKA109は2017年に営業形態を変え、同年11月、「静岡東急スクエア」としてリニューアルします。109という強い若者向けブランドから離れ、より幅広い世代が利用できる商業施設へ方向転換したことは、おまちの変化を象徴する出来事のひとつでした。

東急スクエアになった当初はファッションや雑貨などの店舗もありましたが、109時代と同じ施設ではありませんでした。全国の地方都市でファッションビルの役割が変わっていた時期でもあり、静岡でも「流行の服を買うためにわざわざこのビルへ行く」という性格は徐々に薄れていきました。そして静岡東急スクエアは2023年7月に営業を終了し、翌8月から建物は「けやきプラザ」として再出発します。

現在の「けやきプラザ」は、かつての109とはまったく違う

現在のけやきプラザへ入ると、109の時代とは建物の性格がかなり違うことが分かります。地下1階にはサイゼリヤ、WEGO、サンキューマート、プリクラ・アミューズメントなどがあり、1階はDAISO、Standard Products、THREEPPY、2階はドン・キホーテです。3階には大型アミューズメント施設やトレーディングカードショップ、4階には駿河屋のゲーム館が入っています。

WEGOなど若者向けファッションも残っていますが、施設全体を見れば、もはやファッションビルというよりも、日用品、低価格雑貨、食品、ゲーム、ホビー、アミューズメントを集めたカジュアルな商業施設です。DAISOやドン・キホーテ、サイゼリヤといった全国で利用できる店舗が中心になり、かつての109が持っていた「ここへ来なければ見られないファッションを探す場所」という役割からは大きく変わりました。

これは、けやきプラザが失敗しているという意味ではありません。むしろ現在の消費に合わせれば、日常的に使える店舗や娯楽を集める方が合理的とも考えられます。ただ、おまちの歴史という視点から見れば、その変化は非常に象徴的です。ファッションを目的に若者を街へ呼ぶ建物から、誰でも気軽に立ち寄れる日常型の建物へ。わずか十数年で求められる役割がここまで変わったのです。

なお、建物全体が閉鎖されているわけではありません。2026年時点では5階にピラティススタジオ、6階に美容室も営業しています。一方で、施設側は一部区画についてテナント募集も続けており、109の時代のようにファッション店舗が隙間なく並ぶ建物ではなくなっています。

静岡マルイ――「ブランドを買いに行く場所」だった時代

静岡マルイ
2014年頃の静岡マルイ

SHIZUOKA109と並んで、おまちのファッションを支えていたのが静岡マルイです。丸井静岡店の歴史は古く、1969年に開業しました。かつてはA館とB館という二つの建物を持ち、若い女性向け、男性向けのファッションやバッグ、靴、アクセサリーなどを各階で探して歩く、まさに都市型ファッションビルらしい構成でした。

20代、30代くらいになり、少しきちんとしたブランドの服やバッグを買いたい。そんなときに「マルイへ行く」という選択肢が自然にあった時代です。実際、閉店前までの店舗情報を見ても、ポール・スミス、タケオキクチ、ブラックレーベル・クレストブリッジなど、ファッションビルらしいブランドが並んでいました。女性向けでもサマンサタバサなどが出店しており、「全国ブランドを実際に見て買う場所」としてマルイが担っていた役割は小さくありませんでした。

静岡マルイ館内

2016年、マルイそのものが変わり始める

その静岡マルイにも大きな転換点が訪れます。2016年、丸井グループは静岡店を全面的に再編し、旧A館を「静岡マルイ」、旧B館を「静岡モディ」として開業しました。このとき丸井自身が、それまでの「レディス」「メンズ」で明確に分ける従来型のフロア構成を改め、飲食、雑貨、サービスなどを加えた幅広いライフスタイル型の施設へ変える方針を示しています。

振り返ってみれば、この2016年の再編そのものが、従来型ファッションビルの曲がり角だったのでしょう。服を売ることだけで大型の建物を成立させるのではなく、飲食や美容、趣味、サービスを組み合わせる必要が出ていました。かつてマルイへ「ブランドを買いに行った」世代から見ると、少しずつ自分たちが知っているマルイとは違う施設になっていった時期でもあります。

そして2021年3月28日、静岡マルイは51年の歴史を終えて閉店しました。二棟のうち旧B館として再編された静岡モディは現在も営業を続けていますが、現在の施設規模は1階から8階、テナント数は約20店です。丸井側も現在の静岡モディについて、ファッションだけでなく「新しい消費体験」や「自己実現をかなえるサービス」を提供する施設として案内しており、かつての丸井静岡店とは明らかに役割が変わっています。

つまり「マルイ」という場所が完全になくなったわけではないものの、かつてA館・B館を行き来しながら20代、30代の客が服やバッグを探していた時代の姿は、ほぼ残っていません。現在のモディは、よりコンパクトで、食やサービス、体験を含めたライフスタイル型施設です。この変化に寂しさを感じるのは、単なる懐古ではなく、街での買い物そのものの形が変わったことを目の前で見ているからでしょう。

旧マルイA館は「駿河屋本店」へ――空きビルにはならなかった

一方、静岡マルイが閉店した後の建物には、新しい使い方が生まれました。2023年、駿河屋を運営するエーツーが旧静岡マルイA館を取得し、「駿河屋 本店」を開業しました。地上9階建てのうち、低層階を大型店舗として使い、上層階には本社機能を集約するという再活用です。

ここにも時代の変化がよく表れています。かつて洋服、靴、バッグなどを販売していた大型ファッションビルが、アニメ、ゲーム、トレーディングカード、フィギュアなどを扱うホビーの大型拠点へ変わったのです。ファッションの代わりに別の若者文化が入ってきた、と見ることもできます。おまちから若者そのものが消えたのではなく、若者がお金を使う対象や、街へ出る理由が変わったのでしょう。

最後まで残った静岡PARCO

静岡PARCO周辺

こうして109が姿を変え、静岡マルイが閉店した後、2000年代の若者向けファッションビルの雰囲気を最も色濃く残していたのが静岡PARCOでした。静岡PARCOは2007年3月15日に開業しました。建物はもともと西武百貨店静岡店として使われていたもので、西武撤退後に大規模な改装を行い、PARCOとして再出発したものです。

PARCOにはファッションだけでなく、雑貨、カルチャー、飲食、イベントなどもあり、時代に合わせてテナントを入れ替えながら営業を続けてきました。2020年度に行われた静岡地域中心市街地の調査でも、静岡PARCOは10代、20代、30代の来街目的地で上位に入っています。少なくとも比較的最近まで、若い世代をおまちへ呼ぶ主要施設のひとつだったことは数字からも確認できます。

そのため、マルイや東急スクエアがなくなった後もPARCOだけは残るのではないか、あるいは他施設から需要が集まるのではないか、と考える人もいたでしょう。しかし2025年11月28日、運営会社のパルコは2027年1月末で営業を終了すると発表しました。最終営業日は2027年1月31日の予定です。

PARCOは「誰も来なくなった」から閉店するわけではない

ここは少し丁寧に見ておく必要があります。静岡PARCOの2024年度のテナント取扱高は約81億9,300万円あり、営業終了の発表でも「現在も地域の多くのお客様に支えていただいている」とされています。パルコが理由として挙げたのは、市内外で競合施設の開業やリニューアルが続く商業環境の変化を中長期的に検討したこと、そして建物の賃貸借契約が満了する時期を迎えることでした。

したがって、PARCOの閉店を「若者が誰も買い物をしなくなった」という一言で説明するのは違うでしょう。ただし、109、マルイ、PARCOという2000年代の三つのファッションビルが、結果としてすべて従来の姿では残らなかったことも事実です。ここから見えてくるのは、若者そのものの消滅というより、若者を大型ファッションビル一棟へ集める商売の仕組みが成立しにくくなったという変化ではないでしょうか。

なぜ大型ファッションビルが成立しにくくなったのか

理由は一つではありません。2007年に静岡PARCOとSHIZUOKA109が並んだ時代には、欲しいブランドの商品を買うためには、そのブランドが入っている店まで行くことが当たり前でした。それが現在ではブランド自身のECサイトがあり、ZOZOTOWNをはじめとする通販もあり、SNSで新商品を知ったその場からスマートフォンで購入できます。地方都市に店舗があること自体の価値は、当時とは大きく変わりました。

一方で、若者の消費対象もファッション一辺倒ではありません。ゲーム、アニメ、トレーディングカード、ライブ、推し活、スマートフォン、サブスクリプション、飲食、旅行など、可処分所得の使い道は細分化しています。旧マルイに駿河屋が入り、けやきプラザにゲームセンターやカードショップが入り、多くの人が集まっていることは、その変化をかなり分かりやすく示しています。

郊外型商業施設との競争もあります。車で行きやすく、駐車場があり、衣料品から食品、映画、生活用品まで一度に揃う大型ショッピングセンターは、地方都市では非常に強い存在です。そのなかで、駐車場代を払い、中心街を歩き、複数のファッションビルを回るという買い物のスタイルは、2000年代ほど当たり前ではなくなりました。

それでも「おまち」が終わったわけではない

静岡市中心街の現在

ただし、ここから「静岡のおまちはもう終わった」と考えるのも実際の街とは少し違います。新静岡セノバは現在も大きな集客力を持ち、静岡伊勢丹、松坂屋静岡店、パルシェなども営業を続けています。2025年度の静岡市市民意識調査では、静岡地区の中心市街地に「にぎわいや魅力を感じる」「ある程度感じる」と答えた人は45.1%で、30代以下では前年より評価が上昇しました。

街を歩いても、若者がいなくなったわけではありません。むしろ駿河屋やゲーム、カード、飲食、イベントなど、別の目的で若い人が集まる場所はあります。静岡市自身も、中心市街地を単なる買い物の場ではなく、働く、住む、学ぶ、遊ぶといった複数の機能を近接させる方向で考えるようになっています。

変わったのは「人が街へ行かなくなった」ということ以上に、何のために街へ行くのかなのでしょう。かつては服を買うこと自体が休日の主要なイベントでした。それが現在は、食事をする、イベントへ行く、趣味のものを探す、友人と遊ぶ、サービスを利用するという複数の目的へ分散しています。

静岡PARCOの建物は残る――建て替えず、新たな複合施設へ

そして2026年夏、静岡PARCO閉店後の建物について、今後の方向性が見えてきました。静岡PARCOが入る田丸屋ビルを所有する田丸屋本店は、建物を解体して建て替えるのではなく、既存のビルを改修し、新たな複合施設として再オープンする方向で検討を進めています。

2026年7月、田丸屋本店の望月啓行社長は中日新聞の取材に対し、建設費が高騰するなかでは建て替えよりも改修を優先して考えていることを明らかにしました。改修後は、低層階に商業施設を配置し、上層階についてはオフィスなどを含めた利用を検討しています。すでに新たなテナントの誘致にも動いており、PARCO閉店後、できるだけ早い時期の再オープンを目指すとしています。

これは、静岡のおまちにとって非常に大きな意味を持ちます。PARCOが閉店した後、その巨大な建物が長期間空いたまま残るのではなく、次の利用を前提としてすでに動き始めているからです。しかも、再びPARCOと同じような大型ファッションビルをつくるのではなく、商業とオフィスなどを組み合わせた複合型の施設へ転換する方向が示されています。

ここまで見てきた20年ほどの変化を振り返ると、この方向性は非常に自然です。SHIZUOKA109は東急スクエアを経て、日用品、飲食、ゲーム、ホビーなどを組み合わせたけやきプラザへ変わりました。静岡マルイの旧A館は駿河屋本店と企業拠点へ転換し、旧B館の静岡モディも、かつてのファッション中心の施設からライフスタイルやサービスを含む施設へ変わっています。

そしてPARCO跡もまた、一棟をファッションだけで埋めるのではなく、買い物をする場所と働く場所を組み合わせた建物へ変わろうとしています。2000年代の静岡では「ファッションビルが街へ人を呼ぶ」ことが中心でしたが、これからは商業だけでなく、仕事やサービスなどを日常的に街へ持ち込むことで、中心市街地の人の流れを維持する形へ変わっていくのでしょう。

「PARCOの代わり」をつくるのではなく、次の時代のビルへ

この計画で興味深いのは、静岡PARCOの跡に「次のPARCO」をつくろうとしているわけではないことです。低層階には商業機能を残しながら、上層階にはオフィスなど別の用途を入れる。つまり、買い物客だけに建物全体の利用を依存するのではなく、平日には働く人が訪れ、休日には買い物や食事をする人が訪れるような、複数の人の流れを一つの建物につくろうとしていると考えられます。

これは、かつての大型ファッションビルが衰退していく一方で、中心街そのものをどう維持するかという答えのひとつでもあります。ECが普及し、服を買うためだけに街へ出る必要が薄れた時代に、商業施設だけで3万平方メートルを超える建物を使い続けることは簡単ではありません。しかし、商業、オフィス、サービスなどを組み合わせれば、建物は別の形で中心街の拠点として残ることができます。

静岡PARCOは2027年1月31日に営業を終えます。しかし、その場所そのものが消えるわけではありません。むしろ、2007年にPARCOとして生まれ変わった建物が、約20年後にもう一度大きな転換を迎えることになります。西武百貨店からPARCOへ、そして次の複合施設へ。一つの建物を追うだけでも、静岡のおまちが時代に合わせてどのように変化してきたのかが見えてきます。

「おまち」から消えようとしているのは、若者ではなく一つの時代

SHIZUOKA109へ行き、静岡マルイへ移動し、PARCOを見て帰る。そんな休日を過ごした世代からすると、現在のおまちを見ると寂しく感じる部分があります。109だった建物の1階にDAISOが入り、2階にドン・キホーテが入り、マルイだった建物に駿河屋が入る。そこに良い悪いという単純な評価では説明できない、大きな時代の変化があります。

2000年代には、服やバッグ、靴を買うことが街へ出る大きな理由でした。ブランドそのものに力があり、東京で人気の店が静岡に出店することにはニュース性がありました。それから約20年が経ち、買い物はスマートフォンの中でもできるようになり、若者文化そのものも無数のジャンルへ枝分かれしました。大型ファッションビルが三棟並ぶ必要性は、当時ほど大きくありません。

静岡のおまち

2027年、静岡PARCOが営業を終えると、2000年代の静岡で若者向け商業を象徴していた三つの大型ファッションビルは、すべて当時の姿を失うことになります。しかし、それはおまちそのものがなくなるという話ではありません。109からけやきプラザへ、マルイから駿河屋やモディへと変わったように、街はその時代に必要とされる役割へ少しずつ姿を変えています。

次に静岡PARCOの場所へ何が生まれるのかは、まだ分かりません。ただ、約20年間の変化を振り返ると、そこに求められるものが2007年と同じではないことだけは確かでしょう。静岡のおまちは今、衰退か復活かという二択では説明できない、大きな世代交代の途中にあります。PARCOの閉店は、その変化を最も分かりやすく見せる、一つの節目になりそうです。

参考資料・参考情報

  • 株式会社パルコ「静岡PARCOの営業終了について」2025年11月28日。開業日、店舗面積、2024年度テナント取扱高、営業終了理由、2027年1月末の営業終了予定を参照。
  • 静岡市「おまち(静岡駅周辺)」。静岡駅周辺の中心市街地が市民から「おまち」と呼ばれていること、同地区の都市機能について参照。
  • けやきプラザ「けやきプラザ オープンのご案内」。1984年のビル竣工から生活倉庫、FIVE-J、SHIZUOKA109、静岡東急スクエア、けやきプラザまでの沿革を参照。
  • 株式会社東急モールズデベロップメント「沿革」。SHIZUOKA109の2007年開業、静岡東急スクエアの2017年開業および2023年7月閉館を参照。
  • けやきプラザ「ショップガイド」「施設案内」。2026年時点のDAISO、Standard Products、THREEPPY、ドン・キホーテ、サープラ静岡あそびタウン、バトロコ、駿河屋本店ゲーム館などの入居状況を参照。
  • 株式会社丸井「静岡マルイ 閉店のご案内」。1969年の開業、2021年3月28日の静岡マルイ閉店、静岡モディの営業継続を参照。
  • 株式会社丸井グループ「『静岡マルイ』と『静岡モディ』そろって11月19日(土)にオープン」2016年。旧A館・旧B館の再編、従来のレディス・メンズ中心からライフスタイル型施設へ変更した経緯を参照。
  • 丸井グループ「静岡モディ」出店・リーシング情報。2026年時点の1~8階、約20テナントという施設概要を参照。
  • 駿河屋「駿河屋が旧静岡丸井ビルを取得しました」2023年3月28日。旧静岡マルイA館の取得、1~3階の店舗利用と4~9階への本社機能集約計画を参照。
  • 静岡商工会議所「2020年度 静岡地域中心市街地 来街者調査」。年代別の来街目的地として新静岡セノバ、静岡PARCO、静岡東急スクエア、静岡マルイ・モディなどが挙げられていることを参照。
  • 静岡市「令和7年度市民意識調査結果」2026年1月20日。静岡地区中心市街地のにぎわい・魅力に対する市民評価を参照。
  • 静岡市「令和7年12月4日 市長定例記者会見 会見録」。静岡PARCO跡地が未定であること、オフィス・ホテル需要、低層階の商業利用、建て替えを含む将来利用に関する市長発言を参照。