昨日、成増駅のモスバーガーに行ったのですが、駅に着くと浴衣を着ている人が妙に多いことに気がつきました。「近くで何かお祭りでもやってるのかな?」と思いながら駅前のロータリーに出ると、向こうから踊りながら歩いてくる集団を発見。あ、なんか祭りやってるなと思ったのですが、自分が頭の中で想像していた「お祭り」と様子が全然違います。
先頭には提灯を持った人がいて「○○連」と書かれています。その後ろから少し変わった斜めの笠(調べてみると編笠というそうです)をかぶった女性たちが10人、20人くらいの集団になって踊りながら近づいてきます。さらに後ろには太鼓や笛、三味線などの鳴り物を担当する人たちが続き、商店街の左右には見物客が並び、警察や消防団などが中央の通路を確保しています。一つの集団が通り過ぎたと思ったら、しばらくすると次の集団がやってくる。後ろから追いかけるように移動している見物客もいて、なんだかものすごく流動的で慌ただしい祭りです。
調べてみると、これはそのまま「成増阿波おどり大会」でした。2026年は8月6日の夕方から9時頃まで開催され、成増周辺の連だけでなく高円寺からも3連が参加し、全部で13連、約570人が踊っていたそうです。モスバーガーを食べに行っただけなのですが、結構大きなお祭りの真ん中に偶然入り込んでしまったようです。
阿波踊りって、こんなに慌ただしいの?
私は37歳にして阿波踊りを生で見るのが初めてでした。テレビやアニメ、映画などでは何度も見たことがありますし、あの独特な「お祭りの曲」も知っていたのですが、実際に目の前で聞いてみて「ああ、この曲が阿波踊りだったのか」と初めて結びつきました。
笛や太鼓、三味線などが同じようなフレーズを繰り返し、そこに掛け声が入り、踊っている人たちは足を交差させるように斜めに進みながら少しずつ前へ移動していきます。連によって踊り方や衣装は違うのですが、基本的なリズムや編成には共通するものがあり、次から次へと新しい集団が迫ってくるので見ていてかなり楽しいです。
ただ、私が最初に思ったのは「いやー、慌ただしい祭りだな」ということでした。悪い意味ではありません。むしろ格好いいし、参加している人たちはものすごく楽しそうです。ただ私の中にある「祭り」というものは、こんなに動かなかったのです。阿波踊りでは祭りそのものが道路の向こうからやってきて、目の前を通り過ぎ、そのまま向こうへ消えていきます。しばらくすると次の連がやってくる。見物するこちら側まで、それにつられて移動してしまいます。私の知っていた祭りとは、構造そのものが違いました。

私にとって祭りは「止まっているもの」だった
私はもともと静岡市で育ったので、子供の頃から見ていた地域のお祭りというと盆踊りが中心でした。広場の中央に櫓があり、その上に大きな太鼓が置いてあって、太鼓を叩く人がいる。その櫓を囲むように浴衣を着た人たちが円形になり、みんなでぐるぐると回りながら踊っています。さらに外側には屋台があって、焼きそばを食べたり、金魚すくいやヨーヨーすくいをしたりする。地域によっては最後に花火が上がる。私にとって「祭り」と言われて最初に浮かぶ光景は、だいたいこれです。
つまり賑やかではあるのですが、祭りの構造としてはかなり静的です。中心となる櫓と太鼓は動かない。踊っている人も遠くへ移動するわけではなく、同じ中心の周囲を何周もします。屋台も動かないし、見ている人たちも基本的にはその場所に留まっている。どこか「どっしり腰が据わっている」というイメージがあります。それに対して昨日見た阿波踊りは真逆で、祭りの中心そのものがどんどん移動していきます。私は知らないうちに、子供の頃に静岡で見ていた盆踊りを日本全国共通の「祭り」の基本形だと思い込んでいたようです。
少なくとも私が暮らしていた静岡市の生活圏では、阿波踊りが祭りの中心だった記憶はほとんどありません。もちろん静岡にもさまざまな踊りや祭りがありますし、どこかで阿波踊りを行っている地域もあるでしょう。しかし私の原体験としては、祭り=櫓=盆踊りでした。だから阿波踊りを初めて生で見ると、同じ日本の祭りなのに妙に異文化っぽく感じるのです。

そもそも、なぜ東京で阿波踊りをやっているのか
そこで今度は、なぜ徳島の阿波踊りを東京の成増でこれほど本格的にやっているのかが気になりました。
阿波踊りは徳島を代表する伝統芸能で、400年以上の歴史を持つとされています。起源については一つに確定しているわけではありませんが、長い歴史の中で徳島の文化として発展し、現在では高円寺や南越谷など全国各地へ広がっています。徳島市自身も、高円寺や南越谷などで町おこしの一環として阿波踊りが開催されていると紹介しています。
東京で特に大きなきっかけになったのが高円寺です。東京高円寺阿波おどりは1957年、高円寺の商店街にできた青年部の記念行事、そして街おこしとして始まりました。最初から現在のような本格的な阿波踊りだったわけではなく、「高円寺ばか踊り」という名前で始まり、その後、東京に住む徳島県出身者から本格的な阿波踊りの指導を受けています。さらに1960年代後半になると都内各地の商店街でも阿波踊りが取り入れられるようになり、高円寺の連が各地の大会へ参加することで文化が横へ広がっていきました。
これを調べて「なるほどな」と思いました。阿波踊りって、商店街との相性がものすごく良いのです。広い場所に櫓を組んで人を集めなくても、普段使っている商店街の道路そのものを演舞場にできます。細長い商店街を連が踊りながら進めば、沿道全部が客席になる。成増で私が「なんでこの祭りはこんなに移動するんだろう」と感じた部分が、そのまま都市型の祭りとして普及しやすい特徴だったのかもしれません。これは私の推測ですが、高円寺から都内各地へ阿波踊りが広がった歴史を見ると、かなり納得できます。
埼玉の南越谷も面白く、こちらは徳島県出身の事業家が「越谷に地元の文化を作りたい」と考えたことをきっかけに、商店会や自治会、行政、本場徳島の阿波おどり関係者などを巻き込み、1985年に第1回が開催されています。つまり東京や埼玉の阿波踊りは、何百年もその地域に存在した祭りだけではなく、戦後の街が新しい地域文化として意図的に育てた側面もあるわけです。
同じ日本人でも「祭り」の原風景が違う
考えてみれば当たり前の話なのですが、37歳になって初めて気がつきました。私は今まで何回も引っ越しをしていますし、日本国内の文化なんて大体分かっているような気になっていました。しかし「祭り」という誰でも知っている言葉一つ取っても、頭の中に浮かんでいる映像は育った地域によって全然違うのだと思います。
私の場合は、中央に櫓と太鼓があり、その周囲を浴衣姿の人がゆっくり回っている。祭りは賑やかだけれど、空間そのものは止まっています。ところが徳島や高円寺などで阿波踊りを身近に見て育った人なら、祭りとは笛や太鼓の音と一緒に向こうから迫ってきて、大勢の人が踊りながら街を進んでいくものなのかもしれません。そういう人が逆に、私が子供の頃から見ていた静岡の盆踊りに来たら、「なんでみんな同じところをぐるぐる回っているんだろう」「ずいぶん穏やかな祭りだな」と感じるのではないでしょうか。
別にどちらの祭りが優れているという話ではありません。昨日の阿波踊りはすごく素敵でしたし、生で聞く太鼓や笛には独特の迫力がありました。ただ同時に私は、「いやー慌ただしいな。次から次へと来るし、目まぐるしく移動していくな」とも思っていました。この二つの感情が同時にあったことが、たぶん今回一番面白かったところです。
阿波踊りそのものを初めて知ったというより、37年間、自分の中で勝手に作っていた「日本の祭り」のイメージが、実は静岡市での原体験をもとに作られた極めてローカルなものだったと気がつきました。同じ日本に住んでいても、子供の頃に何を見たかによって、当たり前だと思っている日本文化の姿まで結構違うものです。
昨日はモスバーガーを食べに成増へ行っただけなのですが、この歳になって、また一つ知らなかった日本文化を勉強することになりました。