コラム

なぜ昔のサンルイは、これほど美しいのか【前篇】196090年代クリスタルの輝きを考える

クリスタルグラスを長く見ていると、メーカーやシリーズの違いだけでなく、同じメーカーの中にも明確な「時代差」があることに気づきます。サンルイ(Saint-Louis)はその差が特に大きいメーカーの一つです。戦前のもの、1960年代のもの、1970〜80年代のもの、1990年代のもの、そして現在の製品を並べると、単にデザインやサイズが違うという程度ではなく、ガラスそのものの光り方、重量、厚み、カットの鋭さ、表面の質感までかなり違って見えます。私が特に完成度が高いと感じるのは、おおむね1960年代後半から1990年代頃まで、とりわけ1970〜80年代の製品です。この時代のサンルイには、透明度、重量感、深いカット、鋭いエッジ、厚い底、そして独特の虹色が同時に存在しており、それ以前とも、それ以後とも明らかに違う表情があります。

ここで興味深いのは、「古いものほど良い」という単純な話ではないことです。19世紀末から1950年代頃までのサンルイには、非常に魅力的なものが多い一方、ガラスは薄く、歪みや気泡があり、透明度も後年ほど均一ではありません。輝きも虹色というより白、銀、黒のコントラストが中心で、どこか英国系の古い鉛クリスタルに近い印象があります。反対に現代のサンルイは、製造精度は非常に高く、傷や歪みも少なく、形状も均質ですが、1970〜80年代に見られたような鋭いカットや複雑な虹色は弱く、全体として丸く、滑らかで、やや「ぼってり」とした印象を受けます。つまりサンルイの美しさは年代とともに一直線に進化したのではなく、20世紀後半のある時期に一度、非常に特殊なピークを迎えた可能性があります。

透明なガラスと、輝くガラスは違う

クリスタルの美しさを考えるうえで、まず区別しておきたいのが「透明度」と「輝き」です。この二つは似ているようで、実際にはかなり違います。ボヘミアングラスの優れた個体を見るとよく分かりますが、非常に透明で、光をほとんど邪魔せず、水や氷のように澄んで見えるガラスであっても、必ずしも強烈な輝きを持つわけではありません。逆に高鉛クリスタルの中には、透明度そのものは同程度でも、光を強く曲げ、反射し、カット面から白や虹色の光を返すものがあります。つまり「光をよく通す」ことと、「光を複雑に操作する」ことは別の性能なのです。

伝統的なボヘミア系のガラスは、高い透明度と清澄感に大きな魅力があります。複雑なカットが入っていても、光の印象は比較的素直で、水晶のような透明感が前面に出ます。一方、ウォーターフォードをはじめとする英国・アイルランド系の優れた鉛クリスタルは、白色光の反射が非常に強く、黒い背景の前では銀白色の光が鋭く点滅します。ただし、その輝きは古いサンルイのものとは少し違い、虹色へ分離するというより、白と黒のコントラストが強い印象があります。サンルイ、とりわけ1970〜80年代の個体では、この白い輝きに加えて、赤、黄、緑、青、紫が細かく浮かび、グラスをわずかに傾けただけで光の色そのものが変化します。

この違いを理解するには、「屈折率」と「分散」を分けて考える必要があります。屈折率は、光がガラスへ入ったときにどれだけ進行方向を変えるかを示す値ですが、虹色を生むためには、赤、緑、青など波長の違う光がそれぞれ異なる角度に曲がらなければなりません。この波長による屈折率の差が「色分散」です。高い屈折率を持つガラスは強く光を返しやすい一方、色分散が大きければ、さらに白色光をスペクトルへ分解しやすくなります。したがって、ウォーターフォードの白い強烈な輝きと、古いサンルイの虹色を伴う輝きは、単純な屈折率の大小だけではなく、可視光域における分散特性の違いまで関係している可能性があります。

白色光を通すと、テーブル上に肉眼で色分離したコースティクスを作る

サンルイの虹色は「鉛が多いから」だけでは説明できない

昔のサンルイが美しい理由として、最初に思い浮かぶのは鉛です。伝統的な高級クリスタルでは酸化鉛(PbO)が重要な役割を果たし、ガラスの密度を高めるだけでなく、屈折率を上げ、光学的な華やかさを生み出します。そのため「1970年代のサンルイは鉛が多く、現代は鉛が減ったから輝かなくなったのではないか」という仮説は自然です。しかし実際に調べていくと、この説明だけでは不十分であることが分かります。フランスの高級クリスタル産業では、鉛の代替が本格的な課題として扱われるようになったのは比較的新しく、2010年代にはすでに大幅な低鉛化が完了していた、と単純に考えるのは無理があります。

さらに重要なのは、同じ高鉛クリスタルであっても、メーカーごとに光の性格が違うことです。ウォーターフォードも高品質な鉛クリスタルとして知られていますが、古いサンルイと並べると、光の出方はかなり異なります。つまりPbOの割合だけで、すべての光学特性が決まるわけではありません。ガラスにはSiO₂、K₂O、Na₂O、CaO、ZnO、BaO、Sb₂O₃など複数の成分が含まれ、それぞれが粘性、溶融性、密度、屈折率、色分散、透明度、化学的耐久性に影響します。さらに微量の鉄やマンガン、清澄剤、脱色剤なども最終的な色味や透過特性を左右します。

この点は、バカラが1990年代に開発した鉛を使わないクリスタルの特許を見るとよく分かります。鉛を抜いたからといって単純なソーダガラスに置き換えたのではなく、亜鉛、ストロンチウム、ランタンなど複数の酸化物を組み合わせ、従来の鉛クリスタルに近い屈折率や密度を再現しようとしていました。これは逆に言えば、クリスタルらしい輝きが一つの成分で決まるものではなく、組成全体の設計によって作られていることを示しています。もし1970〜80年代のサンルイが特別だったとすれば、「鉛が多かった」というより、当時のSiO₂、PbO、K₂O、Na₂Oその他の組み合わせが、現代とは微妙に異なっていた可能性を考えるべきでしょう。

カットしていない曲面にも現れる、シャボン玉のような虹

1970〜80年代頃のサンルイで特に不思議なのは、虹色が深いカットの部分だけに現れるわけではないことです。ダイヤモンドカットやV字カットのエッジに赤や青の光が出るのであれば、そこが小さなプリズムとして働いていると考えれば説明できます。しかし古い個体には、何もカットされていない丸いボウル部分や、滑らかな底面に、ふんわりとシャボン玉のような虹色が浮かぶものがあります。これは光を当てる角度によって面の上を移動し、ある瞬間には赤みが強くなり、別の角度では青や緑が見えることがあります。ここまでくると、カット形状だけでは説明がつきません。

一つの可能性は、厚いガラスそのものがレンズやプリズムに近い働きをしていることです。1970〜80年代のサンルイは底やボウルがかなり肉厚で、光が内部を長い距離通過します。ガラスの色分散が大きければ、光路長が長くなるほど赤と青の進行方向の差も大きくなり、カットのない曲面でも色の分離が見えやすくなります。つまり、古いサンルイの「シャボン玉の虹」は、深いカットから生まれる鋭いfireとは別に、母材そのものの厚さと分散特性から生じている可能性があります。この現象が年代を超えて再現するのであれば、当時の母材組成を考えるうえでかなり重要な手掛かりになります。

もう一つ考えられるのが、表面の薄い変質層による光の干渉です。シャボン玉や油膜が虹色に見えるのは、光の屈折そのものより薄膜干渉の影響が大きく、ガラスでも表面に非常に薄い層が形成されれば似た色彩が現れる可能性があります。酸研磨、長期使用、洗浄、表面からのアルカリ成分の溶出などによって、内部とはわずかに異なる表面層ができることはガラスでは珍しくありません。ただし、サンルイの1970〜80年代品でこの現象が実証されているわけではないため、ここは現時点では仮説です。それでも、カット面から鋭く出る虹色と、滑らかな表面を漂う虹色を別の現象として観察することには大きな意味があります。

1970〜80年代のカッティングは、なぜあれほど鋭いのか

この時代のサンルイを手に取ると、現代品との違いは目だけでなく指でも分かります。カットの谷は非常に深く、二つの面が交差する稜線がはっきり残り、ダイヤモンドカットの先端にも鋭さがあります。現在品のように滑らかに丸められた感覚が少なく、場所によっては不用意に指を強く滑らせたくないほどです。しかも、単に細かく模様が入っているのではなく、一つ一つの切り込みがガラスの厚みを大胆に使っており、カットそのものに立体感があります。そのためグラスを回すと、カットの奥が暗く沈んだ直後に別の面が強く光り、そこから虹色が突然現れるという激しい変化が生まれます。

光学的には、エッジが鋭いほど異なる角度を持つ面の境界が明確になります。二つの平面が鋭角に交わっていると、それぞれの面で反射・屈折条件がはっきり分かれるため、グラスの角度を少し変えただけで光の状態が急激に切り替わります。ある角度では真っ黒に見えた部分が、わずかに回すだけで白く光り、さらに次の瞬間には赤や青が現れる。この急激な変化が、ヴィンテージのサンルイに独特の「光が走る」感覚を作ります。逆にエッジを丸くすると、二つの面の間に小さな曲面が生まれ、反射角度が連続的に変わるため、光も滑らかに移動します。見た目は整いますが、光学的な切れ味は弱くなります。

ここで重要なのが研磨です。クリスタルを砥石で切った直後の面は細かな研削傷によって白く曇っているため、そのままでは透明な輝きは出ません。そのため手研磨や酸研磨によって傷を消し、光学的に滑らかな面へ仕上げます。しかし研磨は傷だけを消すわけではなく、強く行えばエッジそのものも削り、丸くしてしまいます。したがって、1970年代と現代で同じ「ダイヤモンドカット」という名称が付いていても、切り込みの深さ、V字の角度、砥石の形状、研磨量、最終的なエッジ半径が違えば、完成品の光り方はまったく別になります。現代品で感じる「カットが甘い」という印象は、職人の能力だけではなく、製品仕様として最終形状そのものが変わっている可能性があります。

「重いこと」が光学性能になっていた時代

1970〜80年代のサンルイには、現在では過剰に思えるほど厚い底やプレートを持つ製品があります。同じ程度の容量のグラスでも手に持った瞬間に明確な重量差があり、底部を見ると、液体を保持するためだけなら不要なほど大量のクリスタルが使われています。しかし、その厚みは単なる高級感の演出ではありません。高分散のガラスでは、光が内部を通過する距離が長いほど波長ごとの進行方向の違いが肉眼で認識しやすくなります。そこへ深いカットが加われば、光は内部で何度も屈折・反射し、グラス全体が複雑なプリズムの集合体として機能します。

つまり、この時代の特徴である「重い」「厚い」「深く切る」「鋭く残す」「透明度が高い」という条件は、それぞれ独立した長所ではありません。厚いから光路長が伸び、深いカットがあるから光の方向が複雑になり、鋭いエッジがあるから反射が突然切り替わり、高い透明度があるからそこで生じた色や反射を濁らせず外へ出せます。その母材自体の色分散が大きければ、さらに赤、緑、青が分離して見えることになります。1970〜80年代のサンルイは、ガラスの厚さ、材料、カッティング、研磨のすべてが、偶然ではなく一つの光学装置のように作用していたと考えると、その独特な輝きを理解しやすくなります。

この点で、現代の高級グラスとは設計思想そのものが違っていた可能性があります。飲み物を入れて使う器として考えれば、底を何センチも厚くする必要も、触れば鋭さが分かるほど深くカットする必要もありません。むしろ軽く、丈夫で、扱いやすい方が合理的です。しかし当時の高級クリスタルでは、合理性よりも「素材を贅沢に使うこと」「光を最大限に見せること」が商品価値として強く残っていたのでしょう。現在なら製造効率や耐久性の面で削られそうな部分が、そのまま美しさの源になっていたのです。

なぜ1960年代以前では、同じ輝きにならないのか

この話をすると、「それならもっと古いサンルイの方が良いのではないか」という疑問が出てきます。しかし実物を見る限り、必ずしもそうではありません。19世紀末から1950年代頃までの製品には、手仕事ならではの美しさがありますが、1970〜80年代のような透明感と虹色が同時に出る個体はむしろ少なく、薄手で歪みがあり、気泡や筋が見え、光も白から銀色の反射が中心になるものがあります。古いから粗悪なのではなく、その時代のガラスが別の技術条件の中で作られていたということです。原料の精製、炉温の安定性、清澄、脱色、アニーリングなど、母材の均質性を支える工業技術は20世紀を通して大きく向上しました。

そこで見えてくるのが、1960〜90年代という時代の特殊性です。この頃には、透明で均質な高鉛クリスタルを安定して作る近代的な工業技術が十分に成熟していました。一方で、製品の思想そのものはまだ19世紀以来の工芸的な価値観を強く残しており、重く、厚く、深く、鋭く作ることが許されていました。つまり、母材は近代化されているのに、製品はまだ合理化されすぎていないという特殊な状態です。戦前より透明で均質、現代より過剰で攻めた作りという両方の長所が、一時的に重なった時代だった可能性があります。

この意味で、サンルイの1960〜90年代を評価するとき、「古いから良い」と考えるのは正確ではありません。むしろ、伝統的な高鉛クリスタルの材料技術、戦後に成熟した工業技術、熟練した職人による深いカッティング、そして重量や厚みを惜しまない商品思想が同時に存在した時代だったからこそ、特殊な完成度に到達したと考える方が自然です。19世紀には職人技はあっても母材の均質性が不足し、21世紀には母材の精度はさらに上がっても、設計思想がより安全で均一な方向へ変化しています。その中間に位置する20世紀後半だけが、両方の長所を持っていたのかもしれません。

後篇では、現代のサンルイがなぜ「ぼってり」と見えるのか、ウォーターフォードやボヘミアンとの光の違い、金彩の質感変化、同じTommyやMassenetでも年代によって別物に見える理由、そして1960〜90年代を本当に「黄金期」と呼べるのかを考えていきます。

なぜ昔のサンルイは、これほど美しいのか【後篇】1960〜90年代クリスタルの輝きを考える