なぜ若者はInstagramに投稿しないのか
最近、10代や20代前半くらいの人のインスタを見ていて、少し不思議に思ったことがあります。フォロワーもフォロー数も数百人いるのに、投稿は0件。プロフィールを開いても写真が一枚もなく、画面には「投稿はまだありません」と表示されているのです。
私は1989年生まれなので、インスタといえば、旅行へ行けば写真を何枚も載せ、カフェへ行けば料理を撮り、プロフィールの9マスをきれいにそろえる場所という感覚があります。少し前までは、自分のページを作り、そこへ思い出を残していくこと自体が楽しさだったように思います。
それがいまでは、若い人ほど公開プロフィールが真っ白です。インスタから離れたわけではないのに、フィードには何も残さない。気になって調べてみると、これは単なる流行ではなく、若者とSNSの付き合い方がかなり大きく変わった結果なのではないかと思うようになりました。
Instagramは使っている、ただフィードには残さない
まず日本の数字を見ると、この変化はかなり分かりやすく表れています。SHIBUYA109 lab.が2025年に、一都三県に住む15~24歳の女性413人を対象に行った調査では、Instagramの利用率は89.6%でした。若い女性の約9割が使っているので飽きられたとは考えにくい数字です。
ところが、「最も投稿しているSNS」を投稿形式ごとに見ると、Instagramのストーリーズは38.1%だったのに対し、フィード・リールは7.4%でした。同じインスタグラムの中でも、24時間で消える場所には投稿するけれど、プロフィールに残り続ける場所にはあまり投稿しないという、はっきりした差があります。
この調査では、若者がある程度絞られた小さなコミュニティとのつながりや、一時的な共有を重視していることも紹介されています。自分の投稿がスクリーンショットされ、知らないところで他人に見せられることを気にする声もありました。私たちの世代よりも、公開した写真がどこまで運ばれていくのかを現実的に考えているのかもしれません。
考えてみれば、現在のインスタには、学校の友人、地元の友人、大学、職場、恋人、元恋人、趣味の知り合いなど、まったく違う人間関係が一つのアカウントに集まっています。親しい友人には見せられる写真でも、職場の人には見られたくない。家族には通じる話でも、それほど親しくない知人には誤解されるかもしれません。
SNSの研究では、このように本来は別々の場所にいる人たちが、同じ観客席に座ってしまう状態を「コンテクスト・コラプス」と呼びます。見ている相手が増えれば増えるほど、誰に向けて投稿すればよいのか分からなくなります。結局、全員に差し障りのない写真を慎重に選ぶか、いっそ何も載せないほうが楽になってしまいます。
「この写真はフィードに残すほどのものだろうか」「何年後に見られても大丈夫だろうか」「頑張って自分をよく見せようとしているように思われないだろうか」。以前なら気軽に置けた一枚の写真が、いまではその人自身を説明する材料になります。0投稿というのは、何も考えていない状態ではなく、むしろ考えた末に作られたプロフィールなのです。
出典:SHIBUYA109 lab.「Z世代のSNS利用最新動向2025」

日本だけではない「表のアカウント」の変化
こうした使い方は日本だけなのかと思い、海外の調査も調べてみました。アメリカでは、Pew Research Centerの調査によると、2024年時点で13~17歳のティーンの50%が毎日利用しています。ところが、2025年秋に行われ、2026年に公表された別の調査では、毎日投稿や共有をする若者は2割程度以下でした。
毎日インスタを開いていても、毎日何かを公開しているわけではないということです。一方、Snapchatでは毎日メッセージを送るティーンが57%、毎日投稿や共有をする人も約3割いました。アメリカでは、友人との日常的な会話がSnapchatやDM、ストーリーズなどへ分かれ、公開プロフィールは人に見せるための静かなページになりつつあるようです。
韓国では、公開する相手をアカウントごとに分ける傾向がさらに分かりやすく表れています。InstagramとOpenSurveyが韓国の16~24歳の利用者1,000人を調査したところ、73.4%が二つ以上のアカウントを使っていました。複数のアカウントを持つ理由で最も多かったのは、「完全に個人的な空間が必要だから」で59.9%でした。
さらに2024年の調査では、韓国の10代の72.5%が、最もよく使う機能としてDMを選んでいます。写真を公開して大勢から反応をもらうよりも、気の合う相手と個別に話すための道具として使われているのです。昔のインスタグラムを知っている人からすると、同じアプリでありながら、かなり違うサービスに見えるかもしれません。
中国のWeChat(微信)には、過去の投稿を「直近3日だけ」「1か月だけ」「6か月だけ」見せる機能があります。中国の大学生189人を対象にした2022年の研究では、46.56%が「最近3日間のみ表示」に設定していました。その理由には、プライバシーを守ることだけでなく、自分のイメージを維持することや、「神秘感を保つこと」まで挙げられています。
インドネシアやブラジルでも、誰にでも見せるメインアカウントと、親しい人だけに日常を見せる別アカウントを使い分ける文化があります。ただ、国ごとの呼び方や細かな違いまで並べていくと話が広がりすぎてしまいます。ここで重要なのは、若者が発信しなくなったのではなく、相手に合わせて発信する場所を細かく選ぶようになったという点です。
出典:Pew Research Center「Teens’ Experiences on TikTok, Instagram and Snapchat」、Meta Korea「Instagram, 2023 연말결산」、Meta Korea「Instagram, 2024 연말결산」、卜南音「大学生的自我呈现与身份建构」
若い世代はネットに残る怖さを知っている
日本の若者が公開プロフィールを慎重に扱う背景には、育った時代も関係しているように思います。1980年代、1990年代生まれの人たちは、ブログ、mixi、Facebook、Twitter、初期のInstagramと、「とりあえず投稿して残す」インターネットを経験してきました。
もちろん当時も個人情報には注意していましたが、現在ほど、何年も前の投稿が突然掘り起こされたり、一部分だけが切り取られて拡散されたりすることを現実的には考えていなかったように思います。昔の写真や冗談が、現在の本人とは関係なく評価される場面を、私たちは後になって何度も見ることになりました。
一方、現在の10代や20代前半は、そうした上の世代の失敗を最初から見ています。ネットに載せたものは完全には消えないこと、公開範囲を限定してもスクリーンショットはできること、本人の意図とは違う文脈で広がることを、SNSを使い始める前から知っている世代です。
もちろん、過去の炎上を見たから若者が0投稿になった、と単純に結論づけることはできません。ただ、公開範囲やスクリーンショット、意図しない拡散を若者自身が気にしていることは、日本の調査にも表れています。彼らにとってプライバシーとは、インターネットを使わないことではなく、インターネットの中にいながら、自分の情報をすべては渡さないことなのかもしれません。
この傾向は、Z世代だけで終わらない可能性もあります。GWIが14市場の12~15歳のSNS利用者を2021年と2025年で比較したデータでは、自分から投稿したり意見を表明したりする行動よりも、動画を見る、情報を探す、流行を知るといった受け身の使い方が強まっています。「自分がすることを何でも投稿する」と答えた人は10人に1人でした。
アルファ世代の多くは、まだInstagramの対象年齢に達していません。そのため、この結果をそのままインスタの0投稿と結びつけることはできません。ただ彼らは最初から、自分が何も投稿しなくてもSNSは楽しめる環境で育っています。これから先、公開プロフィールはさらに静かなものになっていくのではないでしょうか。
出典:GWI「Gen Alpha unfiltered」(GWI Kids Q1 2021 / Q1 2025、14市場)
30代・40代が投稿し、10代が0投稿になる逆転
ここで日本のインスタグラムへ戻ると、少し面白い世代の逆転が見えてきます。私の周囲を見ていると、30代や40代は、旅行、料理、子ども、クルマ、趣味などを、いまも比較的こつこつとフィードへ残しています。それに対して、10代や20代前半のプロフィールのほうが真っ白ということがあります。
以前なら、若者ほどインターネットで自分をさらけ出し、大人になるほど慎重になると思われていました。しかし現在は、年齢そのものよりも、どの時代にSNSを覚えたのかという違いが、投稿の仕方に表れているように感じます。なお、30代・40代のほうが必ず投稿頻度が高いと示す十分な比較統計はなく、ここは私自身の身近な観察を含んだ話です。

私たちの世代は、SNSを「自分で投稿して交流する場所」として覚えました。ブログもmixiも初期のTwitterも、何かを書かなければ何も始まりませんでした。自分のページを更新することそのものが、サービスを使うことだったのです。
ところが、Z世代後半からアルファ世代が最初に触れたSNSでは、クリエイターや企業の動画、アルゴリズムが選んだ投稿が、何もしなくても次々に流れてきます。自分が舞台へ上がらなくてもSNSは成立します。見るだけでも、検索するだけでも、DMで友人と話すだけでも十分に使えるのです。
利用時間は長いのに、公開投稿は少ない。一見すると矛盾しているようですが、彼らの中では「SNSを使うこと」と「自分を公開すること」が、すでに別の行為になっているのでしょう。昔の感覚でプロフィールだけを見ると何もしていないように見えますが、実際には見えない場所で、私たちの世代以上に細かな交流を続けています。
「0投稿」は、何もしていないわけではない
ここまで調べてみると、「若者の0投稿」は、SNS離れとはむしろ反対の現象に見えてきます。アカウントは持つ。友人とはつながる。ストーリーズやリールを見る。DMを送り、必要であれば親しい友達だけに投稿する。ただし、誰でも何年分も遡れる公開プロフィールには、自分の生活を簡単には置きません。
2010年代のSNSでは、「自分をどう見せるか」が大切でした。現在はそれに加えて、「誰に、どこまで、いつまで見せるか」が重要になっています。公開フィードを空白にし、24時間で消えるストーリーズを使い、親しい友達だけに公開し、用途ごとにアカウントを分ける。これは単なる秘密主義ではなく、自分の観客席を自分で決めるための方法です。
日本ではストーリーズや小さなコミュニティが選ばれ、アメリカではDMやSnapchatへ会話が分かれ、韓国では複数のアカウントが使われています。サービスや使い方には国ごとの違いがありますが、大勢へ見せる範囲を小さくし、親しい相手との共有を濃くするという方向はよく似ています。
昔のインスタは、自分の人生を少しずつ貼り付けていく場所でした。しかし、いまの若者にとって公開プロフィールは、生活をすべて見せる部屋ではなく、玄関や名刺に近いのかもしれません。玄関には必要なものだけを置き、本当に生活している部屋は、仲のいい人にしか見せないのです。
投稿が0件でも、その人の日常や人間関係まで空っぽになったわけではありません。何も発信していないのではなく、見せる相手と、残しておく時間を選んでいる。そう考えると、真っ白なプロフィールは、現在の若者がインターネットと慎重に付き合った結果として、かなり自然な姿なのだと思います。