前回の記事では、FELTという東方アレンジサークルがどのように始まり、どのような作品を残し、どのように活動を終えたのかを、できるだけ客観的にまとめました。今回はそこから少し離れて、私自身がFELTとどのように出会い、どう聴いてきたのかを個人的な感想を書いてみたいと思います。
私は2013年頃からFELTを聴き始めました。FELT-011『Abyss nova』が出た頃です。それから新譜を追い、過去作品を集め、ワンマンライブにも行き、最終的にはFELT-001からFELT-032まで、すべてのアルバムが手元に揃いました。ただ、今振り返ってみると、FELTについて面白いのは、CDを全部集めたから好きだったということではありませんでした。むしろ、その時々によって必要なアルバムが違い、当時はあまり理解できなかった作品が十年近く経ってから急に自分の中へ入ってくることもありました。
今思えば音楽というものは、聴いた瞬間にすべて理解できるわけではないのだと思います。CDを買った日と、その作品に本当に出会う日は、必ずしも同じではなかったということです。
同人音楽を探していた頃に偶然知る
最初は同人音楽が好きでした。当時はM3のような同人音楽イベントへ行き、知らないサークルのCDを買うことがささやかな趣味でした。
当時は同人音楽という言葉で一括りにされていますが、実際には内容が本当にさまざまで、ゴリゴリのヘビーメタルがあれば、テクノもあり、本格的なロック、ジャズ、ピアノ、オーケストラ、そこへヴォーカルを乗せた作品など、会場を一周するだけでまったく違う音楽が並んでいました。
特に面白かったのは、有名かどうかと作品の完成度がほとんど関係なかったことです。名前も聞いたことがないサークルが、とても丁寧に作られたアルバムを300円や500円で頒布していることもありました。ジャケットも手作り感のあるものから商業作品のように完成されたものまであり、CD-Rで配っている人もいれば、きちんとプレスしたCDを箱いっぱいに持ってきている人もいます。そうしたものを一つずつ試聴し、知らなかった作品を発見すること自体が楽しかったのです。
ただ、当時の私は静岡に住んでいたのでM3へ行くためには東京まで出なければならず、300円や500円のCDを買いに行くのに交通費だけで何万円もかかってしまいます。そのため実際にイベントへ行けたのは二回くらいで、本当はもっと頻繁に通いたかったのですが、そう簡単には行けませんでした。そこでよく使っていたのがYouTubeやニコニコ動画でした。当時の私は東方Projectについてほとんど知りませんでしたが、同人音楽を探していると、東方アレンジだけは異常なほどたくさん出てきます。有名な曲はニコニコ動画のランキングへ入り、カラオケにも入り、同人音楽なのに普通の商業アーティストのように名前を知られているサークルまでありました。
YouTubeには「東方神曲10選」「感動する東方アレンジ20選」といった動画や、「東方アレンジ神曲1時間まとめ」、「東方原曲5時間耐久」と延々続くまとめ動画がたくさんありました。現在の感覚で見ると、権利処理がどうなっていたのか分からないものも相当あったでしょうし、その文化をそのまま肯定することはできません。ただ、当時は今ほど動画に広告を付けて収益化する文化も一般的ではなく、少なくとも私には「自分が好きな曲を誰かにも聴いてほしい」という感覚で共有している人が多いように見えていました。
そうした長い動画を流していると、時々、明らかに自分の耳が止まる曲がありました。別の日に別の動画を聴いていても、また似た感覚の曲が出てきます。何度かそういうことが続いて、誰が作っているのだろうと調べる。これが私とFELTの出会いです。
だいたい『Abyss nova』から収集を始める
最初からアルバムを全部買ったわけではありません。当時はなるべくお金を使いたくなかったので、中古で一枚か二枚だけ買いました。
おそらく普通なら、それを何度か聴いて終わったのだと思います。ところが一枚を繰り返し聴いていると、そのアルバムの中で最初は気にしていなかった曲まで気になってきます。最初はヴォーカル曲ばかり聴いていたのに、何度も聴くうちにインストゥルメンタルが好きになったり、リミックスだけを続けて聴きたくなったりします。そうすると次の作品も欲しくなり、次の作品を買うと、またそこにも好きな曲があります。
一枚のアルバムに一曲だけ気に入る曲があるのではなく、好きな曲が増えていきます。それを何度か繰り返しているうちに、中古で安く見つかったら買うという程度ではなくなりました。決定的だったのは、2014年に出たFELT-013『Rebirth StoryⅡ』です。今でも、FELTのアルバムを一枚だけ選ぶと言われたら、おそらく私はこれを選びます。この頃には、新作が出たら発売日に確実に入手できるよう予約するようになっていました。そして今度は、新作だけでは足りなくなります。前のアルバムも欲しくなり、イベントに在庫があれば買い、なければYahoo!オークションを探すようになりました。
当時、FELTのCDがすべて高かったわけではありません。2015年から2016年頃の落札記録を見ても、『Fortunes Gate』や『Grow Color』などは500円程度で買えることがあり、新しい作品なら1,000円前後で見つかるものも珍しくありませんでした。ただ、初期作品や一部の人気作になると事情が変わり、『Silver Drive』や『Fairy Queen』『Rebirth Story』などにはすでに数千円の値段が付いていました。私自身も、どうしても欲しかった初期作品を5,000円程度出して買った記憶があります。現在のFELTの中古価格を見ると驚くような金額ではありませんが、新品が1,500円程度だった同人CDに5,000円を出すのは、当時としては十分に高く感じました。
それでも欲しかったのです。今考えると、この頃にはもう「音源を聴きたいからCDを買う」という段階を超えていたのだと思います。
2016年の再販と、一枚のカード
そんな中で大きかったのが、2016年頃に行われた旧譜の再販でした。私はこの機会に、まだ持っていなかった初期作品をかなり集めました。再販されたCDには限定のカードが入っていました。当時は、それほど特別なものになるとは考えていません。ただ、今になってCDを見ると、そのカードも含めて当時のことを思い出します。
音楽配信が当たり前になった今では、音源を所有すること自体にそれほど意味を感じない人も多いと思います。しかしCDには、音楽とは別の記憶がくっつきます。どこで買ったのか、いくらだったのか、イベントの何時頃に行ったのか、誰から受け取ったのか。その一枚を手に入れるまでの出来事まで一緒に残ります。
FELTについては、コミックマーケットなどで直接購入したものもありました。発熱巫女~ずと隣り合わせのスペースで頒布していることもあり、その場でサインをしてもらったこともあります。先着でダウンロードコード付きのポストカードを配っていたこともありましたが、静岡から午後になって会場へ着く頃には、すでになくなっていることもありました。当時は「間に合わなかった」と残念に思うだけでしたが、今振り返ると、午前中だけでそれほど多くの人がFELTのスペースへ足を運んでいたことになります。ネット上では自分一人で聴いているだけの音楽でしたが、イベントへ行くと、その音楽を待っている人が実際に大勢いることが分かりました。
私の中では、アルバムごとに季節や物語がありました
FELTを何度も聴いていると、アルバムごとに風景ができていきました。これは公式に一本の物語として作られているという意味ではなく、あくまで私が聴き続ける中で勝手に感じるようになったものです。
例えば『Fairy Queen』は、私の中では完全に冬のアルバムです。「Plan Doll」を聴くと、音の少ない雪の中に一人で立っているような光景を思い浮かべます。静かで冷たいのですが、単に悲しい曲ではありません。失いたくないものを手の中に残そうとしている感覚があり、弱さと強さが同時にあります。そこから『Flower Flag』へ進むと、春になります。長かった冬が終わり、桜が咲きます。しかしFELTの春は、単純に明るい春ではありません。花が咲くことと、その花がいずれ散ってしまうことが同時にあり、何かが始まる美しさと、終わりを知っている寂しさが同居しています。
『Blue Drop』や『Silver Drive』になると、私の中では「祈り」という言葉が強くなります。「Prayer Blue」もそうですし、「Runway Drive」もそうでした。どちらも寂しさを含んでいるのですが、悲しいことを眺めて終わる音楽ではありません。もう一度何かを信じようとする力が残っています。『Stand Up』には、何かを作り始めるような感覚があります。自分の中では「創造」という言葉が合います。その次の『Little Planet』になると、過去と今をつなぐ話になります。「Little Nova」は、今でもとても好きな曲です。昔のことを振り返るだけではなく、今の自分がこれから何をするのかというところへ戻ってきます。
『Abyss nova』になると、一人で深い場所へ潜っていくような感覚が強くなります。そして『Fortunes Gate』まで来ると、自分の中に暗いものがあることを、無理に否定しなくてもいいというところまで進みます。こうして並べると、自分の中では冬から春へ進み、祈りがあり、何かを作り、過去と現在をつなぎ、一度深い場所へ潜って、最後には自分自身をそのまま受け入れるような流れになっていました。
もちろん、これは私が勝手に作った空想上の解釈です。しかし、何度も同じアルバムを聴くというのは、おそらくそういうことなのだと思います。最初は作った人の作品ですが、長い時間をかけて聴くうちに、自分の記憶や経験がそこへ入り込みます。やがて、どこまでが曲そのものの世界で、どこからが自分の記憶なのか、よく分からなくなってきます。
前期のFELTは、私にとって「鎮痛剤」でした
私の中では『Fortunes Gate』くらいまでに、一つのまとまりがあります。公式に前期・後期と分かれているわけではありませんが、私はこの頃までのFELTを、今でも強く「前期」と感じています。そして、この時期のFELTをなぜこれほど聴いていたのかを考えると、単に音楽として好きだったからという理由だけではありません。
私はFELTを、かなり特殊な使い方で聴いていました。辛かったことや、苦しかったことがあるときに聴きます。もちろん楽しいときにも聴きましたが、特に深く残っているのは、少し心が弱っているときです。よく「元気が出る曲」という言い方がありますが、FELTは少し違いました。無理に立ち上がらせる音楽ではありませんでした。「頑張れ」と強く言われても、そもそも頑張れないから苦しいわけです。
FELTの初期作品は、痛い場所をなくそうとはしませんでした。そこに痛みがあることを前提にして、その横へ少し座ってくれるような感覚がありました。以前、自分のブログで「精神安定剤」と書いたことがあります。当時は少し冗談のつもりだったのですが、今考えると、むしろ強い鎮痛剤に近かったのかもしれません。痛みの原因を治してくれるわけではありません。しかし痛みを少しだけ和らげて、その日を越えることはできます。私にとって前期のFELTは、そういう音楽でした。
2015年10月24日、新宿MARZ
2015年9月、私は自分のブログに「FELT初のライブ開催決定」という記事を書いています。読み返すと、当時すでにFELTを何年も聴いていたことや、「同じアルバムで未だに感動してしまう」と書いていました。その翌月、2015年10月24日、新宿MARZで行われた「FELT LIVE 2015」へ行きました。
会場は小さく満員でした。正確な人数は分かりません。私の記憶では300人くらいだったように感じています。ただ人数そのものより、会場の密度をよく覚えています。同人音楽のライブという言葉から、当時の私はもう少し静かな雰囲気を勝手に想像していたのだと思います。しかし実際には、陽気な人も多く、おしゃれな人も多くいました。お酒を飲みながら踊っている人がいて、最前列でステージを見ている人がいて、本当にいろいろな人がいました。
一曲目は「Star Velocity」でした。『Rebirth StoryⅡ』で何度も聴いていた曲が、目の前で始まります。そして「Prayer Blue」が流れたときの盛り上がりは、今でも強く覚えています。それまでFELTは、かなり個人的な音楽でした。一人でCDを買い、一人で何度も聴き、辛いときには一人でそこへ戻ります。ところがライブへ行くと、自分が大切にしていた曲に、目の前の何百人もの人が同時に反応します。もちろん、隣にいる人が私と同じ理由でその曲を好きだったのかは分かりません。ただ、自分だけのものだと思っていた音楽が、別の人にとっても大切なものだったことが初めて目に見えました。
当時の私は、これから毎年ライブをやるのだろうと思っていました。しかし二回目はありませんでした。結果として、あの夜がFELTの最初で最後のワンマンライブになりました。当時は「初めてのライブへ行った」と思っていた出来事が、何年も経ってから「唯一のライブへ行っていた」に変わります。過去の出来事は変わらないはずなのに、後から意味だけが変わることがあります。今になって思えば、あれもFELTらしい一夜だったのかもしれません。
後期のFELTは、当時はあまり好きではなかった
これほどFELTが好きだったのですが、すべての作品を同じように好きだったわけではありません。
私の中では『Fortunes Gate』あたりまでが明確な前期で、『World Trick』あたりから何かが変わったように感じていました。もちろん、実際にはその間にも『Cold Snap』『Sevens Head』があり、一枚のアルバムを境に突然すべてが変わったわけではありません。ただ、自分の感覚として『World Trick』以降には、明らかに新しい時代へ進んだような印象がありました。
音の作り方も変わり、シンセサイザーの存在も強くなり、メロディーや歌詞から感じる世界も少しずつ変わっていきます。悪いとは思いませんでした。むしろ「良い音楽だな」と思う曲はたくさんありました。「OUR SHIP」は何百回聴いても飽きないと思いましたし、「Time and again」のように、後期から選んだ好きな曲もあります。それでも、アルバム全体を聴いたときに、前期ほど自分の中へ入ってきませんでした。良いのは分かります。でも、何か違います。当時は、それをうまく説明できませんでした。
今考えると、前期FELTに自分が求めていたものがあまりにも明確だったのだと思います。自分の痛みに触れ、それを少し和らげてくれる音楽です。一方で後期FELTは、もっと別の場所へ進んでいるように感じました。私にはそれが少し未来的で、新しい世代の音楽のようにも聞こえました。20代だった私は、「これは自分とは無縁なのかもしれない」と感じていました。
30代になってから分かるように
不思議なのはここからです。2022年頃から、久しぶりに後期のアルバムを聴くようになりました。すると、当時はなかなか入ってこなかった音が、驚くほど自然に身体へ入ってきます。作品は何も変わっていません。昔買ったCDです。音源も同じです。変わったのは自分の方でした。
30代になり、さらに半ばへ近づくにつれて、音楽に求めるものも変わったのかもしれません。20代の頃は、自分の傷へ直接触れてくれる音楽が必要でした。だから、前期FELTの効き方があまりにも強かったのだと思います。それに対して後期の作品は、少し遠いところから世界を見るような音楽だったのかもしれません。当時は新しすぎると感じていた音作りも、今聴くとまったく違和感がありません。以前は少し自分から離れているように感じていた歌詞も、今では自然に入ってきます。メロディーについても、なぜ昔はここまで良さが分からなかったのだろうと思う曲があります。
もちろん前期が色褪せたわけではありません。「Runway Drive」も「Little Nova」も「Goldrop」も、今でも最高の曲です。ただ、今ではそこに後期作品も並ぶようになりました。考えてみれば、CDを買った時点で、その作品を理解しなければならない理由などありません。音楽は本と違って、最後まで聴いたら内容を理解して終わりというものでもありません。同じ曲を十年後に聴くことができます。そして十年後には、聴いている人間の方が変わっています。
私の場合CDを手に入れた日と、その作品に本当に出会う日は、同じではありませんでした。 私にとって後期のFELTは、まさにそういう作品だったのだと思います。20代の自分にはまだ必要なかった音楽を、当時の自分が意味も分からず買い続け、ずっと棚に残してくれていました。そして30代になった自分が、それをもう一度聴くことができました。少し大げさに言えば、昔の自分から今の自分へ送られてきた音楽のようにも感じます。
好きなサークルが、きちんと終わってくれたこと
好きだった音楽活動が終わることを嬉しいと言うのは、不思議に聞こえるかもしれません。もちろん寂しいです。新しいFELTのアルバムがもう出ないことを考えると、今でも残念に思います。それでも私は、FELTがきちんと終わってくれたことを、とても嬉しく思っています。
長く続いた同人サークルの中には、最後の告知もなく、新譜が出なくなり、ウェブサイトも更新されなくなって、数年後になって「おそらく活動していないのだろう」と分かるものもあります。FELTはそうではありませんでした。30作目に『Last Wink』があり、その後に活動終了の告知があり、過去の曲をYouTubeへ残す作業が始まり、最後には『Rebirth Story5』と『START』がありました。途中で途切れたのではなく、最後のピースまで自分たちではめて終わりました。
私の手元にはFELT-001からFELT-032まで、すべてのアルバムがあります。途中から聴き始め、新譜を予約し、過去のCDをオークションで探し、再販で初期作を集め、唯一のワンマンライブへ行き、最後の作品まで見ることができました。そう考えると、私はかなり幸運な聴き手だったのだと思います。
私にとってFELTとは何だったのか
前の記事では、FELTとは何だったのかを、作品数や活動歴、メンバー、ライブ、音楽ゲームへの収録などから考えました。
では、私にとってFELTとは何だったのでしょうか。
静岡から東京の同人イベントへ出かけていた頃の記憶です。YouTubeの長い東方アレンジ動画の中で、何度も巻き戻して聴いた曲です。最初は一枚か二枚だけ中古で買ったCDです。発売日に新譜を予約するようになり、オークションで昔の作品を探すようになった時間です。再販されたCDに入っていた一枚のカードでもあります。夏コミで舞花さんからサインをもらった記憶でもあります。新宿MARZで「Prayer Blue」が流れた瞬間に、大勢の人が同時に反応した夜でもあります。そして何より、20代の自分が辛いときに何度も聴いた音楽です。
当時の私にとって前期のFELTは、かなり強い鎮痛剤でした。ところが30代になると、今度は昔うまく理解できなかった後期の作品が少しずつ入ってくるようになりました。そう考えると、FELTは「昔好きだった音楽」ではないのだと思います。昔好きだった音楽なら、懐かしさと一緒に聴いて終わります。しかしFELTについては、まだ自分の中で意味が変わり続けています。20代で必要だった曲と、30代で必要になった曲が違います。40代になったら、また別のアルバムが突然よく聞こえるのかもしれません。
FELTの活動そのものは、もう終わっています。FELT-032『START』より後に、新しいアルバムが加わることもありません。作品は32タイトルで固定されました。しかし、聴く側は固定されていません。年齢も変わり、生活も変わり、辛いことも幸せなことも増えていきます。そのたびに、同じCDから以前とは違うものが聞こえてきます。
最後の作品が『START』というタイトルだったことを、今ではとてもFELTらしいと思っています。
FELTというサークルは終わりましたが、これからも不朽の作品として色褪せることなく、人々に愛され続けるのだと思います。




