ヴァル・サン・ランベールをご存知でしょうか?
クリスタルグラスを長く見ていると、どうしても有名なメーカーへ目が向きます。フランスならバカラやサンルイ、オーストリアならロブマイヤー、アイルランドならウォーターフォードというように、それぞれ国を代表するメーカーがあります。ベルギーにも、かつて世界最大級の規模を持ち、バカラやサンルイと並ぶほどの存在だったクリスタルメーカーがあります。それがヴァル・サン・ランベール(Val Saint-Lambert)です。
私は10年ほど前からヴァル・サン・ランベールを収集していました。当時から歴史を詳しく知っていたわけではなく、中古で見かけた古いグラスや花瓶に、バカラともサンルイとも違う、どこか懐かしい古典的な模様に惹かれたためです。深い青や赤のクリスタル、大胆なカット、人物や植物の金彩。なんとも言えない魅力があります。

後から歴史を調べてみると、単なる「ベルギーの高級グラスメーカー」と呼ぶには、あまりにも大きな存在だったことが分かりました。創業は1826年頃、19世紀末には約5,000人が働く巨大企業となり、世界各地へクリスタルを輸出しました。アール・ヌーヴォー、アール・デコ、二度の世界大戦、世界恐慌、戦後の大量生産、そして何度もの経営危機を経験し、それでも2026年の現在まで名前と技術が残っています。今年はちょうど創業200周年です。調べれば調べるほど、これは一つのグラスメーカーの話というより、ヨーロッパのガラス産業そのものを200年間追いかけるような話でした。
バカラと同じ源流から始まった
ヴァル・サン・ランベールが生まれたのは、ベルギー東部のリエージュ近郊、セランという町です。「ヴァル・サン・ランベール」という名前は、もともとこの場所にあったシトー会の修道院に由来します。フランス革命後の1797年に修道院は廃止され、その後は紡績工場などとして使われましたが、1820年代に二人の人物がここへクリスタル工場を作ります。その二人がフランソワ・ケムランとオーギュスト・ルリエーヴルです。

面白いことに二人ともフランス人で、それ以前はベルギー南部のヴォネシュにあった名門クリスタル工場で働いていました。そして、ヴォネシュを経営していたエメ=ガブリエル・ダルティーグは、ナポレオン時代が終わったことでフランス市場へのアクセスが難しくなり、フランス側に生産拠点を必要とするようになります。そこで取得したのが、現在のバカラへつながる工場でした。
一方、ヴォネシュに残っていたケムランとルリエーヴルは独立し、セランで新しい工場を始めます。つまり現在は「フランスのバカラ」と「ベルギーのヴァル・サン・ランベール」という別々のブランドですが、200年前まで遡ると、ヴォネシュという同じ流れから枝分かれしていることになります。1826年6月に最初の炉へ火が入り、ヴァル・サン・ランベールの歴史が始まりました。周辺には石炭や原料があり、ムーズ川が流れ、後には鉄道も整備されたため、クリスタル工場を巨大化させるには非常に都合の良い場所だったようです。
5,000人が働いた巨大なクリスタル工場
現在のヴァル・サン・ランベールを見ると、少人数の職人が昔ながらの製法を守っている工房という印象があります。
しかし全盛期はまったく規模が違いました。1880年代から第一次世界大戦前まで、ヴァル・サン・ランベールでは約5,000人が働き、海外にも販売拠点を持っていました。20世紀初頭には生産のかなりの部分を国外へ輸出し、ロシア皇帝家をはじめ、ヨーロッパや世界各地の宮廷にも作品を納めています。

象徴的なのが1894年のアントワープ万博で作られた「九つの州の花瓶」です。
高さ2.25メートル、重量約200キロ、82個ものクリスタル部品からなり、30人の職人が約2,000時間をかけて制作したとされています。もはや食器というより建築物に近い大きさですが、これほど巨大なものを作れたということは、それだけ大量の職人、設備、原料を抱えていたことでもあります。

ただ大量に生産していたというだけではありません。色被せ、深いカット、金彩、エナメル、酸による腐食、複数の色を重ねたガラスなど、非常に幅広い技法を使っています。
工場の規模だけを見ると近代産業なのに、完成品を見ると驚くほど手仕事が残っている。この二つが同時に存在していたところが、ヴァル・サン・ランベールの面白いところです。

過去に所有していた青の花瓶も、こうしたヴァル・サン・ランベールらしさが非常に分かりやすいものです。透明なクリスタルへ濃いコバルトブルーを重ね、それを大胆に削ることで青と透明な部分を作っています。単純に青いガラスを作るのではなく、色の層そのものを削って模様を作るため、光を当てたときの立体感がまったく違います。深い海を思わせるような青で、光が入ると削られた透明な部分だけが急に明るくなります。ヴァル・サン・ランベールを集め始めた頃、私が特に惹かれたのもこうした色でした。
特に惹かれたDanse de Flore 花の踊り
中でも私が昔から集めているのが「Danse de Flore」、ダンス・ド・フロールと呼ばれる装飾です。海外ではDanse de Floresと表記されることもあり、名称には多少揺れがあります。金色の人物たちが横一列に並び、踊ったり、花を持ったり、楽器を演奏したりしています。後から知ったのですが、古代ギリシャ・ローマ風の人物が花や豊穣を祝うように踊る図柄として紹介されることがあり、「Flore」という名称も花や春を思わせます。厳密には特定のギリシャの豊作祭をそのまま描いたものと断定できる資料までは確認できていませんが、古代の祝祭を思わせる図柄であることは確かです。
この少し古典的で、どこか博物館の壁画のようなデザインが私は非常に好きです。面白いのは、ダンス・ド・フロールが一つの形だけに使われているわけではないことです。海外の資料を見ると、「Borodine」という形のグラスやデキャンタにも使われていますし、「Jupiter」と呼ばれる花瓶にも同じ装飾があります。つまりダンス・ド・フロールは器そのものの名前というより、その上に施される装飾の名前として考えた方が分かりやすそうです。

色も一種類ではありません。透明なもの、ブルー、赤系、暗いグリーン系などさまざまな個体があり、同じ図柄なのに色が変わるだけで雰囲気がかなり違います。特に濃いブルーの個体は、金彩とのコントラストが非常に強く、明るい場所では華やかなのに、少し暗い部屋へ置くと急に重厚な雰囲気になります。昼と夜でも見え方が変わるので、飾っていてもなかなか飽きません。

花瓶として普通に使えるところも気に入っています。コレクション用の美術品として棚へ飾っておくだけでもいいのですが、実際に花を入れると意外なほど自然です。私は以前、田舎に暮らしていた頃、庭で咲いている花を適当に切ってきて、そのままヴァル・サン・ランベールへ活けていました。高価なクリスタルだからといって特別な花を買ってこなくても、庭の草花を無造作に入れるだけで妙に絵になります。

今になって考えると、もしかしたらこういう使い方こそ本来の使い方だったのかもしれません。花瓶というものは美術品である前に、花を入れるための器です。200年前から続くクリスタルだからといって棚へしまい込み、誰にも触らせないより、花を入れて普通に生活の中で使った方が楽しいように思います。傷が付かないように気を使いながらも、実際に使うことで初めて分かる光や色もあります。
製造された年代や個体によって、装飾にかなり差があるのも面白いところです。私が持っているものを比べても、金彩の人物が細かく描き分けられているものもあれば、少し平面的で、転写した模様のように見えるものもあります。特に面白いのがボンボニエール、つまりキャンディや小物を入れる蓋付きの器です。良い個体を見ると、人物や植物の細かな線まで非常に丁寧に表現され、背景の彫刻や金彩にも奥行きがあります。

一方、別の年代の製品を見ると、同じような図柄でもかなり簡略化されているものがあります。もちろん一つ二つの個体だけを見て「この年代は品質が悪い」と断定することはできません。作られたラインや価格帯、担当した職人、保存状態による違いもあるでしょう。それでも長く見ていると、製品ごとに精度や仕上がりのムラがあることは確かで、私はむしろそこも面白いと思っています。
現代の工業製品なら、同じ型番の商品はほぼ完全に同じものが届きます。しかし古いクリスタルは少し違います。同じシリーズでも切り方、厚み、金彩、色の濃さに微妙な違いがあり、「この個体は妙に出来がいい」というものがあります。そうした個体差を探すことも、古いクリスタルを集める面白さの一つです。
花瓶だけではなく、ウイスキーセットまである
ダンス・ド・フロールは花瓶だけではありません。グラス、デキャンタ、ウイスキーセットなどにも展開されています。こういうセットは日常的に毎日使うというより、少し特別な日に使うと本当にきれいです。友人やゲストが来たとき、ウイスキーをデキャンタへ移し、グラスを並べる。それだけでテーブルの雰囲気がかなり変わります。

透明なクリスタルに金彩だけが入ったものは、青や赤の花瓶と比べるとずいぶん控えめです。それでも光を当てると人物だけが浮かび上がり、昼間よりも夜の照明の下で見た方が美しく感じることもあります。色被せの大きな作品とは別の魅力があり、同じ図柄を使っているのに印象がまったく違います。

逆に大きな花瓶では、色、カット、金彩が全部一緒になります。私はこうした組み合わせを見ると、ヴァル・サン・ランベールはやはり少し「過剰」なメーカーだったのだと思います。透明なクリスタルだけでも十分美しいのに、そこへ色を重ね、削り、さらに金で人物を描いてしまう。それでも不思議と破綻せず、一つの作品として成立しています。
バカラの端正さとも違いますし、サンルイのフランスらしい華やかさとも少し違います。この独特の濃さが、ヴァル・サン・ランベールの面白さなのだと思います。
実は日本と関係がある
ヴァル・サン・ランベールを調べていて意外だったのが、日本との関係です。日本の中古市場では、ときどき昔の百貨店らしい箱や日本語のラベルが付いたヴァル・サン・ランベールを見かけます。1985年には、日本向けと思われる「VAL SAINT LAMBERT. JAPON」という日本語カタログと価格表が存在したことも、ベルギー側のカタログ資料目録に記録されています。
1987年には、キリンのコレクター向けグラスとして「デコール・ダンス・ド・フロール」が日本で紹介されています。実物には「Kirin Collector’s Glass」「val saint lambert」と書かれた箱と日本語の説明カードが残っており、少なくとも昭和後期の日本で一定の形で販売、頒布されていたことが分かります。さらに時代を遡ると、ベルギーの美術館資料には、日本の宮廷からヴァル・サン・ランベールへ金彩やカットを施した茶器の注文があったという記録も残っています。
そして、日本との関係を象徴するような、かなり面白い作品があります。1989年、ベルギーでは「EUROPALIA JAPAN」が開催されました。EUROPALIAはベルギーを中心に行われる大規模な文化芸術祭で、1989年は日本が大きく取り上げられ、9月27日から12月17日まで589もの催しが行われました。来場者は約166万人に達しています。
そのEUROPALIA 89 JAPANに関連して制作されたと考えられる、ヴァル・サン・ランベールの花瓶が残っています。
以下は出品されているヤフーオークションです。

かなり独特なデザインです。コバルトブルーの色被せクリスタルに、何度も大きく「日本」と書かれています。横にある丸を並べたマークもEUROPALIA JAPANで使われた意匠で、一見すると誰かが後から日本向けに加工したものにも見えます。しかし底を見ると、はっきりと「EUROPALIA 89 JAPAN IN BELGIUM」と刻まれています。

少なくともEUROPALIA 89 JAPANとの関係を前提に制作された作品であることは間違いなさそうです。ただし、これらの個体について、本当に会場で展示された現物なのか、それともイベント向けの記念品や贈答品として作られたものなのかまでは、確認できていません。
1989年のEUROPALIA JAPANには、当時の皇太子徳仁親王もベルギーを訪れています。現地で王室史を紹介する資料には、このとき徳仁親王へヴァル・サン・ランベールの花瓶が贈られたという記録もあります。それは1921年にベルギーを訪れた裕仁皇太子へ贈られた花瓶の復刻で、100点制作されたものだったと紹介されています。
ベルギーを代表するクリスタルメーカーが、日本文化をベルギーへ紹介する大きなイベントのために「日本」という文字をここまで大胆に使った作品を作っていたこと自体が面白いです。一方ではヴァル・サン・ランベールのクリスタルが日本へ輸入され、もう一方では日本文化をベルギーへ紹介する際にヴァル・サン・ランベールが記念作品を作る。思っていた以上に、日本とこのメーカーの関係は深かったようです。
メッテルニヒは、まるで水晶を削り出したように見える
もう一つ、私が好きなのがメッテルニヒです。ダンス・ド・フロールが装飾の美しさを楽しむシリーズだとすれば、メッテルニヒはクリスタルそのものの美しさを楽しむグラスだと思います。形そのものはかなり古典的で、大きく開いたボウルに長いステム、そして平らにカットされた面が連続します。少しバカラのアルクールを思わせるような重厚さがありますが、実際に手にすると雰囲気はかなり違います。

特に好きなのが、ステム中央に入った小さな気泡です。ボウルからステム、台座までが一体となっている感覚が非常に強く、つなぎ目を意識させません。透明度も高く、光を当てて眺めていると、ガラスを溶かして作ったものというより、一つの大きな水晶を職人が削り出したように見える瞬間があります。
中央の気泡も面白いものです。厳密には当時の外気を瓶詰めしたようなものではなく、製造時にクリスタルの中へ閉じ込められた気体です。しかし、例えば1960年代に作られた個体なら、その製造時に閉じ込められた気泡が60年以上経った現在もそこに残っていることになります。そう考えると、小さなタイムカプセルのようにも見えてきます。
何十年も前にベルギーの工房で職人が作ったときに生まれた気泡が、今もステムの中央に浮かんでいる。科学的にはただの気泡ですが、古いものを集めていると、こうしたところに妙なロマンを感じてしまいます。そして何より、ワインを入れると本当にきれいです。透明な状態では水晶のように見えますが、赤ワインや白ワインを入れると、液体の色がカットによって複雑に曲がります。使わずに飾るだけでも美しいのですが、こういうグラスは実際に液体を入れたときに完成するようにも思います。
興味深いことに、メッテルニヒは昔のシリーズとして完全に消えたわけではありません。2026年現在もヴァル・サン・ランベールの公式サイトに掲載され、複数サイズが販売されています。

アール・ヌーヴォーからアール・デコ、そして大衆向けまで
ヴァル・サン・ランベールの歴史を追ううえで、レオン・ルドリュという人物は覚えておくとよいかもしれません。1855年にパリで生まれ、1888年にヴァル・サン・ランベールへ入り、1897年には創作部門を率るようになります。この時代には、植物を思わせる曲線や花を使ったアール・ヌーヴォーの作品が数多く作られました。さらに20世紀初頭にはフランス・ロレーヌ出身のミュレ兄弟もヴァル・サン・ランベールで仕事をし、複数の色ガラスを重ねて酸で削る、ガレやドームを思わせる作品まで制作しています。
ところが第一次世界大戦で生産は止まり、戦後には大口顧客だったロシア帝国もなくなります。それでも1920年代にはアール・デコへ移行し、1925年のパリ装飾芸術博覧会にも参加しました。1929年の世界恐慌が起こると、海外依存の大きかったヴァル・サン・ランベールは大きな打撃を受けます。そこで1930年代にはLuxvalという比較的手頃なラインも展開し、高価な手切りクリスタルだけでなく、型を使ったデミ・クリスタルなども大量生産して一般家庭へ市場を広げました。
そのため現在の中古市場でも、同じヴァル・サン・ランベールなのに価格差が非常に大きいです。巨大な色被せクリスタルや複雑な金彩作品が数万円、数十万円する一方、比較的手頃な型押し製品もあります。同じブランドの中で、宮廷向けの特注品から普通の家庭用品まで作っていたのです。
戦後に縮小したけれど、なんとか残る
第二次世界大戦後、ヴァル・サン・ランベールは19世紀末のような巨大企業には戻りませんでした。しかし製造そのものが止まったわけではありません。私が特に面白いと思うのは1960〜80年代頃の製品で、この時期には近代的な工業技術によって透明で均質なクリスタルを作りながら、まだ大量の材料を使い、厚く、重く、深く削ることが許されていました。サンルイでも同じようなことを感じますが、20世紀後半という時代は少し特殊だったのかもしれません。
材料や炉の管理は近代化している一方で、製品そのものは現在ほど合理化されていません。厚すぎる底、深すぎるカット、大量の金彩など、実用品として考えれば無駄とも言える部分が、そのまま美しさになっています。ヴァル・サン・ランベールの場合は、その「やりすぎ」がかなり分かりやすく残っています。
しかし企業としては苦しい時代が続きました。1987年に民営化され、1995年には倒産。その後再建されるものの、2008年、2013年にも経営危機を迎えています。2014年にはベルギー人実業家が引き継ぎ、2018年には新たな資本が入りました。そして2025年3月からは、クリスタル工房そのものが非営利法人によって運営される形になっています。
かつて5,000人が働いていた巨大企業を復活させるのではなく、少人数の職人によって技術を残す方向へ変わっています。2026年は創業200周年ということで、ベルギー国内では改めてヴァル・サン・ランベールの作品が紹介され、リエージュのグラン・キュルティウスなどでも展覧会が開かれています。200年前に生まれ、二度の世界大戦を通り、世界恐慌を経験し、会社が何度も倒産し、それでも炉の火と名前が残っている。そう考えると、なかなかすごいメーカーです。
バカラやサンルイの廉価版ではない
日本でヴァル・サン・ランベールを見ると、ときどき「バカラより少し安いベルギーのクリスタル」というような扱いを受けます。現在のブランド規模だけを比べれば、確かにバカラやサンルイとは大きな差があります。日本の百貨店へ行けば普通に売っているブランドでもありません。しかし歴史を遡れば、その見方はかなり変わります。
19世紀末のヴァル・サン・ランベールは約5,000人が働く世界有数のクリスタルメーカーでした。万博へ巨大作品を出し、世界各国へ輸出し、王侯貴族から一般家庭まで幅広い製品を作っています。色被せ、深いカット、酸による彫刻、金彩、アール・ヌーヴォー、アール・デコまで技術の幅も非常に広く、しかもバカラとは、さらに前のヴォネシュという工場を通じて源流がつながっています。

中古市場を見ていると、驚くほど手の込んだヴァル・サン・ランベールが、同時代のバカラやサンルイよりかなり安く売られていることがあります。ブランド名だけを見れば通り過ぎてしまうかもしれませんが、実際に手へ取るとずっしりと重く、深く削られ、光を当てれば複雑に反射します。金彩には職人の仕事が残り、同じシリーズでも個体差があります。
私は10年くらい集めていますが、いまだに「こんなものも作っていたのか」という作品が出てきます。だからこそ面白いのだと思います。バカラのように誰でも知っているわけではなく、サンルイほど現在のブランドイメージが整理されているわけでもありません。歴史を調べても、分からないシリーズや年代がまだかなりあります。
しかし過去に作られたものを一つずつ見ていくと、巨大産業だった時代、アール・ヌーヴォーの時代、昭和の日本へ入ってきた時代、そして現在の小さな工房へと、それぞれ違うヴァル・サン・ランベールが見えてきます。私が最初に惹かれたのは、そんな歴史ではありませんでした。ただ古い花瓶を見て、「何だかこの図柄は妙にきれいだな」と思っただけです。
そうして200年前まで遡ってみると、ベルギーの小さな町で始まったクリスタル工場が、いつの間にかバカラとも、日本の皇室とも、1989年のEUROPALIAともつながっていました。ヴァル・サン・ランベールとは何か。「ベルギーの高級クリスタル」という一言では、収まらないように思います。
https://www.val-saint-lambert.com/
参考・出典
Val Saint-Lambert公式サイト:創業、ヴォネシュとの関係、色被せクリスタル、20世紀以降の沿革、現在の製品について参照。
Grand Curtius:ヴァル・サン・ランベールの歴史、1894年「九つの州の花瓶」、レオン・ルドリュ、ミュレ兄弟、アール・ヌーヴォー期について参照。
EUROPALIA Archive「Japan 1989」:1989年9月27日〜12月17日の開催期間、イベント数、来場者数について参照。
Royalement Blog:1989年の徳仁親王のベルギー訪問と、ヴァル・サン・ランベール製花瓶の贈答について補助資料として参照。
VSL Archives 1826–2020:1985年の日本語カタログ「VAL SAINT LAMBERT. JAPON」、1980年代のカタログ・価格表について参照。企業公式ではなく、収集家による資料目録です。
Val Saint-Lambert公式「Metternich」:2026年現在のメッテルニヒのラインアップについて参照。