はじめに:日本茶の“いま”を知ると、淹れ方が変わります
日本特有の香りと旨味を持つ日本茶は、単なる喉の潤しではなく、季節や土地、茶師の技をまるごと味わう文化だと感じます。静岡県の本山茶・川根茶は言わずもがな、近年は熊本や鹿児島、佐賀や福岡など九州勢も香り高い緑茶を数多く送り出しています。なかでも**こも掛け(覆い)**を施して柔らかい新芽を摘むお茶は、渋みを抑え、甘みとコクがぐっと深まります。
今回は王道の一番茶(新茶)の美味しい淹れ方を軸に、急須・湯冷まし・温度設計・多煎抽出のコツまで、実践的にまとめます。一番茶はその年最初に摘む柔らかな芽で、静岡では概ねゴールデンウィーク前後がピークです。紅茶の文脈でいえばファーストフラッシュに相当し、二番茶はセカンドフラッシュのイメージに近いでしょう。昨今は流通の効率化でブレンド品も増えていますが、単一農家・単一畑の香りの立ち上がりは、代えがたい魅力があります。
おいしさの設計図:水・茶葉・道具・温度・時間
美味しく淹れる要素は大きく5つに整理できます。
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水質:軟水が基本です。ミネラルが多すぎる硬水は渋み・雑味が出やすく、香りも立ちにくくなります。日本の水道水は地域差がありますが、沸騰→一度冷ますだけでもカルキ臭が緩み、香りが生きます。
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茶葉:一番茶で針のように細い形状・つやがあるものは期待が持てます。深蒸しなら粉落ちがやや多い分、抽出スピードは速く、濃く出やすいのが特徴です。
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道具:常滑・萬古・信楽などの急須は、土の性質で味の柔らかさが変わります。細かいステンレス網や**帯網(セラメッシュ)**だと粉を受け止め、雑味を抑えられます。湯冷まし用の器(湯のみでも可)を用意すると温度管理が容易です。
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温度:旨味は低温で出やすく、渋味・苦味は高温で出やすいという原理が肝心です。
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時間:浸出時間は40秒〜1分が基準。茶葉の状態(浅蒸し/深蒸し)で調整します。
基本レシピ(煎茶・一番茶の標準)
1人分を**湯のみ1杯(約120〜140ml)**として、次を目安にします。
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茶葉:ティースプーン2杯(約2〜3g)
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湯温:60〜70℃
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浸出:40秒〜1分
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抽出回数:2〜3煎(茶葉と品質次第で4〜5煎)
手順
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急須を温める:熱湯を急須と湯のみに一度注いで温め、湯のみの湯は湯冷ましとして活用します。器が温かいと抽出が安定します。
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茶葉を入れる:急須に茶葉を入れます。2杯=1人分が目安です。たっぷり飲みたい場合でも一人ならこの分量で十分に多煎を楽しめます。
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湯冷まし:いきなり急須に熱湯を入れず、湯のみ→湯冷まし→急須と移して温度を落とします。器移し1回で約10℃下がると覚えておくと便利です。
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注湯→静置:60〜70℃になったお湯を急須へ。40秒〜1分置きます。ここで揺らしたり回したりしません。茶葉が自重で開くのを待ちます。
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分注:1杯だけでも2〜3回に分けて注ぎます。2人以上なら回し注ぎ(1→2→3→…→3→2→1)で濃度を均一化します。最後は注ぎ切ること。急須内に湯が残ると渋みの原因になります。
味わいの遷移:
1煎目=甘み、2煎目=渋み、3煎目=苦みを中心に、旨味のベクトルが少しずつ変化します。これこそ日本茶の醍醐味です。
温度の“チューニング”:品種・製法で最適点が違います
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浅蒸し煎茶(本山・川根など):60〜70℃。透明感と香り立ちを重視。
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深蒸し煎茶(牧之原・掛川など):65〜75℃。粉落ちが多い分、短時間で旨味が出ます。
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被覆(こも掛け・かぶせ茶寄り):55〜65℃。テアニンの甘みを引き出す温度帯で。
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玉露:45〜60℃。極低温・長め(90秒前後)で、とろみのある旨味を。
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ほうじ茶・番茶:90〜熱湯。香ばしさと軽快さを引き出します。
2煎目以降は温度を少しずつ上げるのが基本です。低温のままだと薄く感じやすいため、+5〜10℃を目安に。3煎目はさらに短時間&やや高温で、キレの良い苦みを楽しめます。
注ぎの作法:旨味を濁らせない“少しずつ、ちょびちょび”
抽出が良くても、注ぎ方で味がブレます。1人でも2〜3回に分ける、複数人なら回し注ぎで濃さを均一にするのが鉄則です。急須の中をぐるぐる回す・激しく振るのは禁物です。茶葉が破れて渋みが出やすくなります。最後はしっかり注ぎ切り、蓋を少しずらして蒸れを逃し、茶葉を休ませます。
よくある“惜しい”ポイントと対処
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温度が高すぎる:渋み過多に。湯冷ましを必ず挟みます。
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浸出が長すぎる:えぐみの原因。40秒〜1分を守り、味が濃ければ次回は短縮します。
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注ぎ切らない:次煎で渋みが先行。完全に切るを徹底します。
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茶葉を入れすぎ:濃さの調整は温度と時間が先。茶葉は目安量で。
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急須の網が粗い:深蒸しで粉が出すぎる場合は細密網の急須に。
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水が合わない:カルキ臭は沸騰→冷ますで軽減。ペットボトル軟水も手です。
多煎の楽しみ:2煎目が“客前”、3煎目までが正客の作法
日本茶は多煎が身上です。2煎目は香味のバランスが整い、正式なお客様にも出せる一杯として重宝されてきました。3煎目までは来客向けとして十分。4〜5煎目は軽やかで日常遣いにふさわしい味わいです。抽出の総量で考えると、同価格帯の紅茶よりもコストパフォーマンスが高いと感じられるはずです。
冷茶・氷出し:苦渋を閉じ込め、旨香だけを引き出す
冷茶(コールドブリュー)は、低温でカテキンやカフェインの抽出を抑え、テアニン主体のまろやかな甘みを引き出します。
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冷蔵水出し:茶葉10gに対し水1L、冷蔵庫で4〜6時間。軽く揺らして完成。
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急冷:70℃で30秒抽出→氷で一気に落とす。香りを閉じ込め、キレ良く仕上がります。
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氷出し:茶葉をたっぷり、上に氷を敷き詰め、自然解凍で数時間。滴る一滴が凝縮の宝です。夏場の来客や食中酒代わりに最適です。
茶葉の保管:酸素・湿気・光・温度を遮る
お茶は酸化・吸湿・光劣化・温度上昇で香りが落ちます。開封後は遮光性・気密性のある袋や缶で、冷暗所保管が基本です。長期保管は冷蔵も有効ですが、出し入れで結露を招かないよう常温に戻してから開封します。月内〜数か月で飲み切る設計で買うと、いつも香りが良い状態を維持できます。
産地・蒸し・火入れを知る:香りの“履歴書”を読む
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本山・川根(静岡):山間の清澄な香り、浅蒸し寄りで透明感が命。
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掛川・牧之原(静岡):深蒸しのとろみある旨味。短時間でも濃く出る設計。
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八女(福岡)・宇治(京都):被覆栽培の系譜。甘香・旨味を低温で。
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鹿児島・熊本:温暖な気候で香り豊かな早場が魅力。品種違いも楽しい。
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火入れ(焙煎):仕上げの熱で香ばしさ・キレの調律。軽火は青香を残し、強火は香ばしさが前面に。
同じ「煎茶」でも蒸しや火入れ、被覆の有無で最適温度が変わるため、まずは60〜70℃・40秒を基準に、香りの立ち上がり・渋みの出方で微調整すると失敗が少ないです。
器の愉しみ:急須が味をつくる
土の急須は、微細な凹凸や気孔が角の立った渋みを和らげることがあります。
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常滑焼:鉄分を含む土で締まりとキレ。
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萬古焼:耐熱性と素直な抜け。
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信楽焼:土味が生むふくよかさ。
横手・後手の把手は注ぎの安定に、帯網・底網は粉の受けに関わります。深蒸し主体なら細かな帯網が扱いやすく、浅蒸し主体なら底網で抜け良く。器選びも味の一部です。
応用:来客・食事・甘味とのペアリング
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茶菓子・生菓子:一煎目の低温抽出で甘香を先に。
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食中:二煎目を少し高温・短時間でキレを立て、油を洗う役に。
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和菓子の餡・栗:被覆系のとろみと甘香が相性抜群。
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揚げ物・焼物:深蒸しの厚みや、ほうじ茶の香ばしさが心地よく寄り添います。
まとめ:多煎こそ日本茶の歓び
日本茶の魅力は、温度×時間×注ぎの三位一体で、同じ茶葉から表情の異なる数杯を引き出せる点にあります。
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基本は60〜70℃・40秒〜1分、分注して注ぎ切る。
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1煎目は甘み、2煎目は渋み、3煎目は苦みという遷移を楽しむ。
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2煎目は客前の一杯として最適、3煎目までなら正式なおもてなしにも十分。
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4〜5煎目は日常の相棒として、軽やかに。
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夏は冷茶・氷出しでやさしい甘みを。
高価な茶葉も多煎で割れば実はとても経済的です。抽出という小さな所作に心を添えると、湯気の向こうに産地の風が立ち上り、茶師の手の温度が伝わります。ぜひ、今日の一服から温度と時間を少しだけ丁寧に。静岡も、九州も、あなたの急須の中で最良の一杯へと結実します。どうぞご自宅で、四季の移ろいとともに美味しい緑茶をお楽しみください。


