日本中に幅広く分布する紅茶マニア。その世界では、意外な対立構造が存在しています。表面的には仲良くお茶を楽しんでいるように見えても、実は「紅茶の提供方法」をめぐって暗黙の緊張関係があり、時に友人関係やお茶会の空気を壊してしまうほどです。
今回はその“お湯を注ぐ過程で生じる分裂”について、少しユーモラスに検証してみましょう。
きっかけは「茶葉抜きポット野郎」発言
筆者がこの問題を初めて知ったのは、ある紅茶マニアのエッセイを読んだときのことでした。そこには衝撃的なフレーズが綴られていたのです。
「茶葉抜きポット野郎とは金輪際お関わりあいになりたくない」
正直、最初は意味が分からず「茶葉抜きって何?」「茶葉有りとどう違うの?」とグーグルで検索してしまいました。どうやら問題は、ティーポットで紅茶を提供するときに「ポットの中に茶葉を残すかどうか」という点に集約されるようです。
日本のカフェ文化では「茶葉抜き派」が主流
編集部(=筆者の職場)でも紅茶をポットでいただく習慣がありますが、実は全員が自然と「茶葉抜き派」でした。
この方式は日本の喫茶店やカフェでも主流で、ポットに茶葉を残さず、あらかじめ濾した紅茶を提供します。
なぜかというと、飲み手にとってフレンドリーだからです。紅茶の濃さが一定に保たれるため、好きなタイミングで飲んでも味が変わりません。読書をしたり、スマホを触ったりしながらでも安心してお茶が楽しめます。
さらに自宅で淹れる場合も「茶葉抜き」の方が後片付けが簡単です。洗い物が楽になるという実務的な利点もあり、日本家庭の多くは自然とこの方式を採用しているのです。台湾茶のように何煎もお湯を注ぐスタイルでなければ、基本的に茶葉抜きが「標準」になっていると言えるでしょう。
英国文化を重んじる「茶葉有り派」
一方で「茶葉有り派」は紅茶マニアの間で強い存在感を放っています。特に英国の伝統を重視する人々にとっては、ポットに茶葉が残っていない紅茶は「あり得ない」ものなのです。
イギリスでは、ポットの中に茶葉が残ったままの状態で紅茶を注ぐのが一般的。スコットランドやイングランドのB&Bで出てくる紅茶も同様です。アフタヌーンティーの体験を通して「これこそが正式な紅茶」と体に染み付いた人にとって、茶葉抜きはどうしても受け入れがたいのです。
彼らの主張を整理すると次のようになります。
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ミルクを加える場合に、しっかり濃く抽出できる
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飲み手が自分の好みで濃さを調整できる
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ポットを移し替えないので温度が下がりにくい
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茶葉の香りを最後まで楽しめる
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濃くなりすぎた場合は差し湯で調整できる
こう聞くと「なるほど」と納得できる点もあります。日本の一部ティーサロンでは、あえて「茶葉有り」で提供するところもあるほどです。
茶葉有り派に欠かせないツールたち
「茶葉有り派」が頼りにするのがティーストレーナーです。ポットから注ぐときにカップの上で茶葉を濾す、あの小さな金属製の道具です。
ほかにもポットの注ぎ口に直接アミを取り付けて茶葉を止める方式もあります。
ただ、茶葉抜き派の多くは「ストレーナー? ああ、そういえば見たことあるね」程度で、特に意識していません。つまるところ、この論争は「茶葉有り派」がやや過激にこだわっているだけであり、茶葉抜き派は気づかないままスルーしていることが多いのです。
お茶会での地雷を避けるには?
問題は「紅茶マニアが集う場」で発生します。茶葉抜き派が何気なくポットを差し出したときに、茶葉有り派が心の中で「これは紅茶じゃない…」と不満を抱いてしまう。逆に茶葉有り派がストレーナーを持参してまで本格的に淹れようとすると、茶葉抜き派が「なんだか面倒くさいなぁ」と感じてしまう。
この小さなズレが積み重なると、せっかくの楽しいお茶会に亀裂が入る可能性もあるのです。
そこで大切なのは、ひと言確認を入れること。
「今日は茶葉ありにしますか?それとも抜きますか?」
これだけで不必要な衝突を避けられます。紅茶の提供方法ひとつで人間関係がこじれるのはもったいないですからね。
結論:紅茶は平和の象徴であるべき
結局のところ、「茶葉抜き」も「茶葉有り」もどちらも正解です。大切なのはお互いのこだわりを尊重すること。紅茶は本来、平和で優雅なひとときを演出する飲み物であって、対立や分断を生むものではないはずです。
ですので、これからお茶会を開くときは、最初に「今日はどっち派でいきましょうか?」と笑いながら聞くのがベストでしょう。
茶葉の有無で喧嘩をせず、紅茶の香りとともに楽しい時間を過ごすこと。これこそが紅茶マニアにとっての最上のマナーなのです。


