私が初めて『イニシャルD』のアニメを見たのは小学生の頃で、ちょうどファーストシーズンが始まった小学5年生前後だったと思います。アニメが与えた衝撃は計り知れず、自分の人生に大きな影響を与えました。
ごく簡単に言えば、『イニシャルD』は、峠の違法バトルや車の改造を通じて、主人公が次第に強敵と戦いながら成長し、やがてプロへと至っていく物語です。
私の生まれ育った静岡では、90年代当時、今よりも何十倍も多くのスポーツカーが存在し、近所のお兄さんたちが当たり前のように乗っていました。そのため日常的に目にする機会が多く、田舎道に停まっていたり、友達のお父さんがスポーツカーに乗っていたりするのも珍しくありませんでした。こうした環境が、アニメと現実の神話性を強め、より深くのめり込むことになりました。
1990年代のスポーツカー文化
特に1990年代には、AE86がまだ現役で走っており、静岡のような田舎でも週に1〜2回は走り屋の86を見かけたように思います。
もちろん、峠など車好きが集まる場所に行けば毎晩のように86が2〜3台はいて、ランエボ、シルビアやGT-Rも同じくらい集まっていました。2000年代の半ば頃までは、こうした光景は珍しくなく、スポーツカーが安価になっていたこともあり、自然と峠に集結する時代だったのです。
『イニシャルD』は、群馬や関東を舞台としながらも、静岡に暮らす自分にとっても身近に感じられる作品でした。まるでアニメのような現実がそこにあると錯覚させるほどで、しかもストーリーは小中学生にもわかりやすいものでした。
作品では藤原拓海という、自分の強さに無自覚な主人公が少しずつ自分の気持ちに気づき、成長し、強い敵を倒していく。言ってしまえば『ドラゴンボール』のように王道の成長物語です。テーマは成人向けの違法運転でありながら、少年漫画的要素も色濃く、没入感が強かったのです。
そのため必然的に車が好きになり、初めて買った車がRX-7だったのも、間違いなく『イニシャルD』の影響です。

湾岸ミッドナイトとの距離感
一方で『湾岸ミッドナイト』は、首都高速道路を舞台にした漫画のだとは知っていたのですが、25歳くらいまでは本格的に読むこともなく、せいぜい立ち読み程度で全然ハマれませんでした。
その理由には大きく二つあると思います。
一つ目は舞台設定です。
『湾岸ミッドナイト』は首都高速道路が中心の物語なので、東京や神奈川に住んでいる人であれば実感が湧き、没入感を得られるかもしれません。しかし、距離のある環境で育った自分にはイメージが掴みにくく、どうしても興味が湧かなかったのだと思います。
もう一つは作品の性質です。『湾岸ミッドナイト』はかなり大人向けの内容で、特に若い頃の自分には難しく感じられました。今思えば、むしろ30代から40代に向けた作品なのではないか、と感じます。

哲学的な物語構造
もちろん湾岸ミッドナイトにも、ストーリーは存在し、敵やライバルも登場します。
しかし『イニシャルD』のように、次々に強いライバルが現れて倒していくといった分かりやすい構造ではありません。むしろ、哲学的な自己との対話や精神世界の探求、大人になる上での諦めや挑戦の繰り返しといった、やや難解なテーマが物語の中心にあります。
主人公のアキオは高校生で、設定だけ見れば『イニシャルD』と重なる部分もありますが、登場するライバルや走り屋たちは敵でも仲間でもなく、同じ精神世界を歩む同志のような存在です。どこか修行僧のように描かれていると感じます。
本来であれば首都高速という公道でやってはいけないことを舞台にしていますが、その姿は道場で精神を研ぎ澄ませて戦っているかのようです。車という道具を通して、己の限界に挑み、最高速を越え、自分自身の信念の正しさを証明しようとしている。
その過程でライバルを追い越すことは、決して「褒められたい」「かっこよく思われたい」といった承認欲求ではなく、他者を追い越すことで自分の精神性や信念を証明する行為にすぎません。
こうしたテーマは理解するのが難しく、精神的に大人にならなければ共感しにくいものだと、今になって実感しています。

大人の物語としての湾岸ミッドナイト
作品のキャラの中には、職業が安定していて経済的に困っていない人物や、テレビに出る人気タレントのような人たちでさえ、どこか心の隙間を埋められず「自分の人生とは何だろう」と悩んでいる姿が描かれます。
そうした人たちはフェアレディZやポルシェ911、R32GT-Rといったモンスターパワーを持つ車をチューニングし続け、最高速を目指すセッティングに莫大な金と時間、そして命を懸ける。そこにこそ、自分に欠けているものや、心の穴を埋める答えがあるのではないかと執着する――その光景自体が非常に魅力的です。
さらに作品では、その周囲の人々の物語も丁寧に描かれています。かつては同じように走っていたが、家族を持ったことで諦めた人。事故や恐怖心から湾岸線を去った人。危険を感じ、ついて行けないとアクセルを緩めた結果として舞台から降りていった人。こうして「やめていく人」「別の道を選ぶ人」のストーリーにまで光を当てており、それがまた30〜40代に強く響く要素になっていると感じます。
年齢とともに変わる共感のポイント
『イニシャルD』を読んでいた10代前半から20代前半までは、「夢があり、未来は自由で、好きなことをすればいい」と自然に思える時期でした。しかし20代後半から30代に差し掛かると、家庭を持つことや独立の問題、友人が車を降りていく現実など、共感できる場面が増えてきます。私自身も25歳くらいで自然と派手に走ることから離れていきましたが、そうした「やめるステージ」が誰にでも訪れることに共感を覚えるのです。
つまり、表面的にまとめれば、『湾岸ミッドナイト』は首都高で最高速バトルに挑む物語であり、『イニシャルD』は地元の峠から強敵を倒しつつプロへと成長していく少年の物語です。しかし本質的には、『イニシャルD』が少年漫画的な成長と挑戦を描いているのに対し、『湾岸ミッドナイト』は大人になってから直面する精神的な葛藤や人生の意味を描いている――そこに大きな違いがあるのではないでしょうか。


