スーパーで野菜を手に取ると、産地表示にふと目が行くことがあります。
埼玉に住んでいても、静岡にいても、「青森産の長ネギ」「北海道産のジャガイモ」「群馬産のキャベツ」といった遠い土地の名前をよく見かけます。
どの地域でも比較的容易に作れそうな野菜でさえ、なぜか遠くから運ばれてきている。
しかもそれが当たり前のように毎日のように並び、季節が変わっても入れ替わらない。
地元の畑や農家を見れば、すぐ近くでも同じような野菜を作っているのに、なぜ地元産がスーパーに並ばないのか。最初は不思議で仕方がありませんでした。

しかし調べてみると、その背景には「流通の中央集約」と「安定供給のための全国ネットワーク」という、現代日本の農業構造が深く関係していることがわかりました。
中央卸売市場という“巨大ハブ”が生み出した仕組み
今の日本の野菜流通は、1970年代から発達した「中央卸売市場」モデルを中心に構築されています。
青果物は全国各地の産地から大都市の中央市場(たとえば東京の大田市場、大阪の本場市場など)へ集められ、そこから再び地方の中小市場やスーパー、業務ルートへと分配されます。
一見すると遠回りのようですが、これは品質や価格を安定させるための仕組みです。
市場を通すことで、どの地域のスーパーでも一定の品質・価格で野菜を手に入れることができるようになりました。
1個あたりのコストは「遠いほど高い」とは限らない
直感的には「遠くから運べばコストがかかる」と思いがちですが、実は逆の場合もあります。
物流の世界では、コストは距離ではなく“輸送効率”で決まるのです。
たとえば青森の長ネギを10トントラックに満載して埼玉や神奈川に運ぶ場合、1本あたりの輸送コストは数円程度にまで下がります。一方、地元の農家が軽トラックで数十キロの野菜を小出しに運ぶと、燃料費と人件費で1本あたりのコストは桁違いに高くなります。
つまり、遠くから大量にまとめて運ぶ方が、結果的に安く安定供給できるのです。
そのためスーパーは「地元の少量より、大産地からの一括仕入れ」を選びます。加えて、トラックの“帰り便”を利用できる長距離輸送の方が、実際には経済的に有利なケースも多いのです。
スーパーは「地元」ではなく「全国契約」で動いている
もうひとつの大きな理由は、スーパーの仕入れ体制にあります。
いまの大手チェーン(イオン、ヨーカドー、ベイシア、業務スーパーなど)は、店舗単位ではなく本部一括仕入れで全国の流通を管理しています。
たとえば埼玉の業務スーパーが青森産の長ネギを売っているのは、その店舗が青森の農家と直接取引しているわけではなく、神戸の本部が全国一律で契約しているからです。
つまり、どの店舗でも同じ品質・同じ産地の商品が安定して届く仕組みになっています。

道の駅
店舗側に地元の野菜を独自に仕入れる自由はほとんどありません。
流通センターでパッケージ化された商品が一括で配送されるため、地域性よりも「統一されたオペレーション」が優先されるのです。
地元の野菜はどこへ行くのか?
では、地元で作られている野菜はどこへ行ってしまうのでしょうか。
実は地元産の野菜は、スーパーの中央流通には乗らず、直売所や小規模スーパー、飲食店ルートに流れています。

地元の農家が出荷する場合、大手スーパーに卸すには厳格な規格を満たさなければなりません。
サイズ・形・見た目・出荷量の安定・バーコード対応など、どれか一つでも欠けると受け入れてもらえない。そのため、地元の農家の多くは「地産地消」の範囲で動いています。
たとえばJAの直売所や道の駅では、少し形が不揃いでも味の良い野菜が安く売られています。
飲食店では、地元農家と直接契約している場合も多く、そこにはスーパーとは違う“地域の流れ”が存在しています。
つまり、スーパーに地元産が並ばないのは、地元で消費されているからなのです。
ただ、スーパーの棚だけを見ると、まるで“地元では何も作られていない”かのように錯覚してしまいます。
修善寺の椎茸――地元に残らない“本場の味”
この構造は、野菜だけでなく他の農産物にも見られます。
たとえば静岡県伊豆の修善寺。ここは全国的に知られる椎茸の名産地で、原木栽培による香り高い椎茸が東京などに出荷されています。しかし、実際に修善寺の温泉街を歩いても、地元産の椎茸を気軽に買える場所はほとんどありません。

その理由は、すでに出荷契約が完璧に組まれているからです。
高級料亭や百貨店、食品メーカーなどへの取引が中心で、収穫された椎茸はすぐに乾燥・梱包され、都市部へ出荷されてしまいます。
B級品や規格外品も、乾燥粉末や業務用出汁パックとして再利用されるため、「地元に売る余り」がそもそも存在しないのです。
さらに、ブランド保護の観点から、「地元で安く販売することでブランド価値を下げないようにする」という流通管理も行われています。つまり、修善寺の椎茸は地元ではなく、都市の高級市場でこそ価値を発揮する存在になっているのです。
ハワイで感じた“もう一つの本場の不在”
この構造は、海外でもまったく同じです。
ハワイ・オアフ島のドール・プランテーションを訪れたときのこと。
広大なパイナップル畑が広がり、観光客向けの立派なビジターセンターがあります。
私は「ここなら間違いなく本場のパイナップルが食べられる」と思っていました。

ハワイのビジターセンター(2013年頃)
ところが、どこを探しても生のパイナップルが売っていないのです。店内にはキャンディ、チョコレート、ドライフルーツ、パイナップル味のソフトクリーム。どれも美味しいけれど、本物の果実そのものが存在しない。
農園の目の前で、なぜ本物を食べられないのか――その不思議さに言葉を失いました。

かろうじて買えたドライフルーツ
理由を知れば納得できます。
ハワイ産のパイナップルは、今や輸出専用のブランド果実。
現地で売るよりも、日本やアメリカ本土に出荷したほうがはるかに儲かります。
さらに、生果を観光地で販売するには衛生法上の制約が厳しく、カットフルーツの販売には専用設備とライセンスが必要。結果、観光施設では加工品しか扱えなくなったのです。
「本場に行っても本物が食べられない」――。
ハワイのドール農園で感じたその矛盾は、日本の修善寺やスーパーの野菜事情と同じ構造の上にあります。どちらも、生産と消費が“分業”されすぎた世界の象徴です。
効率の裏側にある、見えない距離
なぜ遠くの野菜がスーパーに並ぶのか。
その答えは、「効率」と「安定供給」という、現代流通の合理性にあります。
遠くからでも大量に安く運べる仕組みがあり、全国どこでも同じ品質で、同じ価格で、同じ商品が手に入る。それは消費者にとって便利であり、経済的にも合理的です。
けれどその一方で、「地元で採れたものを地元で食べる」という素朴な循環はどんどん失われ、
生産地の風景は、私たちの食卓から遠ざかっていきました。
修善寺の椎茸も、ハワイのパイナップルも、私たちの前に“姿を見せない本物”として存在しています。その見えない距離を意識することが、これからの食の豊かさを考える第一歩なのかもしれません。


