美術館での展覧会というと、静かに作品を鑑賞するだけのイメージを持つ方も多いかもしれません。ですが時に、美術と食文化が交差する特別なひとときが設けられることがあります。
2016年秋、静岡市立美術館で開催された「ランス美術館展 美しきフランス バロックからフジタへ」。その関連イベントとして開かれたのが「シャンパーニュの夕べ」でした。学芸員によるスライドトークと、ソムリエによるシャンパーニュのレクチャー、そして試飲を組み合わせたこの催しは、美術とワイン文化を同時に味わえる贅沢な時間でした。

ランスという都市と美術館の誕生
会場となった展覧会の主役「ランス美術館」は、フランス北部シャンパーニュ地方の都市・ランスにあります。ランスといえば世界遺産ノートルダム大聖堂が有名ですが、同時にシャンパーニュの中心地としても知られています。
美術館の成立には、この地でシャンパーニュ事業を成功させたポメリー社の経営者アンリ・ヴァニエの存在が大きな役割を果たしました。ヴァニエは生涯をかけて美術品を蒐集し、子孫を残さなかったため、その全コレクションを市に寄贈。1913年、ランス美術館が誕生しました。
この美術館には、モネ、ピサロ、ルノワールら19世紀フランスの巨匠の作品が数多く収蔵され、地方都市の美術館でありながら国際的にも評価の高い存在となっています。
マム社とフジタ嗣治の出会い
シャンパーニュを語る上で欠かせないもう一つのメゾンが、1827年創業のG.H.マムです。モットーは「Only the Best(最高のシャンパーニュだけを)」。その哲学は世界に知られ、今もカンヌ映画祭など華やかな場面を彩っています。
このマム社と日本人画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)との縁もまた、芸術とシャンパーニュの交差を象徴するエピソードです。マム社の社長ルネ・ラルーはフジタと親しく交流し、シャンパーニュのボトルキャップを飾る薔薇の絵を依頼しました。そのデザインは高く評価され、シャンパーニュの芸術的価値を一層高めました。
やがてフジタはフランス国籍を取得し、日本国籍を放棄。晩年はランスに深く関わり、「フジタ礼拝堂」を手がけます。小さな礼拝堂にはキリスト磔刑図や平和の聖母のフレスコ画、夫人やラルー氏の肖像も描かれ、芸術と友情の証として今も残されています。
イベント「シャンパーニュの夕べ」
展覧会関連イベント「シャンパーニュの夕べ」は、こうした歴史的背景を踏まえて構成されました。
前半は美術館学芸員によるスライドトークで、アンリ・ヴァニエのコレクションやフジタとランスとの関わりが紹介されました。作品の背景にある人々の物語を知ることで、展示作品は単なる絵画以上の重みを持って迫ってきます。
後半はソムリエールの長谷川浩美氏によるシャンパーニュ解説。ブドウの品種、醸造法、味わいの違いなどが丁寧に解説され、続いて実際の試飲タイムへ。
味わったシャンパーニュ
この日振る舞われたのはG.H.マムとポメリー。
まずマムの代表的な「コルドンルージュ」。淡いイエローの泡立ちに、青リンゴやレモンを思わせる爽やかな香り。辛口のブリュットでありながら柔らかな印象を残し、どんな料理にも寄り添える万能性を感じさせます。
続く「マム ロゼ」はサーモンピンクの美しい色合い。ピンクグレープフルーツやザクロの香りに、ほんのりトマトを思わせる青さが混じり、甘やかさとシャープさを併せ持った味わいでした。
一方、ポメリーのシャンパーニュはやや甘みの強い香りで、酒麹のようなニュアンスも感じられます。マムの端正さに対し、ポメリーは包み込むような温かさがあり、飲み比べの面白さを堪能できました。
美術とシャンパーニュが織りなす文化
美術館の展覧会とシャンパーニュの試飲、一見別の分野のようですが、ランスという都市の歴史をたどれば自然と結びついていることがわかります。
シャンパーニュ産業で富を築いた人々が美術館を支え、芸術家とワインメーカーが交わり、新たな作品や文化を生み出した。その積み重ねが「ランス美術館展」へとつながり、静岡の地でも体験できる形になったのです。
おわりに
「シャンパーニュの夕べ」は、単なるワイン会でも、美術講座でもありませんでした。美術と酒が出会うことで、ランスという都市の豊かな文化的背景が立体的に浮かび上がり、作品を前にグラスを傾けることで理解が一層深まる。そんな貴重な時間でした。
ランス美術館展は2016年9月10日から10月30日まで開催され、多くの人がフランス美術とシャンパーニュ文化の交差点に触れる機会となりました。遠くフランスに出かけることなく、このような世界に触れられるのは稀有な体験です。
秋の夜、美術館を訪れ、作品を堪能したあと、シャンパーニュの泡の一粒ひと粒に思いを馳せる――そんな豊かな時間を味わってみませんか。


