世の中には、「お金持ちは質素で無駄遣いをしない」という話が、美談としてよく語られています。
たとえば、
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お金持ちは無駄遣いをしない
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お金持ちは飛行機のファーストクラスに乗らない
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お金持ちはユニクロを着る
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お金持ちはベンツではなく軽自動車に乗る
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無駄な消費をせずに節約したからお金持ちになれた
こうしたエピソードは一見、庶民の心を温める希望のようにも見えます。しかし、少し視点を変えると、それは「お金持ちは庶民的な人たちだ」という幻想を与え、労働階級からの嫉妬や怒りを和らげるために流布された“神話”にも見えてきます。
今回はこの「お金持ち=節約家」という通説にメスを入れ、本当に富を築いた人々の実像に迫ってみたいと思います。
節約すれば金持ちになれる?──職業別に見る現実
「無駄な消費を避けて節約したからお金持ちになった」
これはよく聞くフレーズですが、果たして事実でしょうか?
次のような職業の方々は、世間的には高収入のイメージがあります。
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弁護士
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医師
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パイロット
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芸能人
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スポーツ選手
これらの職業の人々は、確かに収入は高い傾向にあります。しかし、「お金持ちか?」と問われると、答えは少し複雑になります。なぜなら、彼らの多くは「労働収入」でお金を得ており、資産家ではないからです。
ロバート・キヨサキ氏が提唱した「キャッシュフロー・クワドラント」の考え方では、収入の得方を以下の4つに分類します。
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E:従業員
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S:自営業者
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B:ビジネスオーナー
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I:投資家
パイロットやスポーツ選手は会社や団体に属する「E=従業員」が多数を占めます。芸能人も半数以上はプロダクションやテレビ局との契約のもとで働いており、完全な自由業ではありません。
一方で弁護士や医師の中には独立開業している方もいます。そういった方々は「S=自営業者」に分類されますが、やはり自分が働かなくなれば収入は止まります。
真に「お金持ち」と言えるのは、「B=ビジネスオーナー」や「I=投資家」のクワドラントに属する人々です。これらの人々は、自分が現場に立たずとも、お金が勝手に働いてくれる仕組みを持っています。
権利収入で生きる人々──富裕層の現実
ここまで読むと「結局、働かずに金を稼げってこと?」と思うかもしれません。しかし実際に、真の富裕層と呼ばれる人たちは、すでにそのステージにいます。
UBSやゴールドマン・サックスのような金融機関に資産を預け、年利5%で10億円を運用していれば、年間5000万円の収入が自動で得られます。月に416万円使っても元本は減りません。しかも、支出がそれ未満であれば、複利で資産は増えていきます。
これは現実の話です。編集部が接触した、ある投資家の男性は次のように語っています。
「1〜2億では資産が増える実感はないですが、5億円を超えてくると、複利の力を実感できます。私は今、投資銀行からの収入だけで生活ができています。」
この人物は、自身では働いておらず、完全に「I=投資家」のクワドラントに属しています。
一方、筆者はスーパーで豆腐を買うとき、100円だろうが200円だろうが「欲しければ買う」という基準で判断します。これもまた、収入と支出のバランスが整っていれば可能な思考回路です。
ファーストクラスに乗らない理由
ビル・ゲイツ氏が「エコノミークラスに乗っている」という逸話をご存じでしょうか?
これだけを切り取ると「質素で偉いなあ」という印象を持つかもしれませんが、彼は軽井沢の別荘に80億円を費やしています。
つまり、飛行機の座席など「どうでもいい」から選ばないだけで、必要と思えば巨額の支出をする人物なのです。
「今日はファーストクラスの気分じゃないな」
そんな気分でエコノミーに乗っているのかもしれません。
「贅沢しない」は美徳か、それとも関心がないだけか
ココイチの創業者・宗次徳二氏が「シャツは980円で十分」と語ったことが話題になったことがあります。
「贅沢には興味がありません。腕時計は7800円、シャツは980円の既製品です。」(プレジデントオンライン)
この言葉に対し、メディアは「質素で立派」と称賛しました。しかし実際は、「興味がないからお金を使わない」だけなのです。
逆に、ファッションに興味がある人であれば、イタリア製の手縫いシャツや、数十万円の靴を購入することもあります。それは「浪費」ではなく、文化的な支出です。
高級な手縫いのシャツは、職人技が凝縮された文化的財産でもあり、その支出は“文化の継承”に繋がります。
贅沢こそ文化を守る行為である
着物文化、焼き物、漆器、箪笥、和家具、伝統工芸──。これらは「生活必需品」ではなく、「豊かさの象徴」であり「文化の担い手」です。
江戸時代には武士や商人が、明治時代には財閥が、文化的な支出を担ってきました。現代において、それを担うべきなのは「お金持ち」です。
お金持ちが高級車に乗り、上質な服を着て、美しいものを買うことは、単なる自己満足ではなく、社会全体にとって「文化的責任」でもあります。
「無駄遣いをしないお金持ち」などという幻想が蔓延すれば、日本文化の多くはやがて消えていくでしょう。
「質素な金持ち」は幻想──お金持ちこそ、無駄遣いすべき存在
冒頭に挙げた「お金持ちはユニクロを着る」「お金持ちは節約家である」といった話は、実は“幻想”です。
お金を使わない人は、使わないのではなく、「興味がないだけ」。
使う人は、「必要だと思うから使う」。
そして、本当にお金がある人は、「文化を守るためにこそ使う」ことができます。
逆に言えば、「文化的な支出ができる余裕」が、本当のお金持ちの条件なのです。
節約や倹約は美徳ではありますが、それはまだ“富の入り口”にいる人たちの話です。ある一定の段階を超えた人々にとっては、「お金の使い方」こそが、その人の人間性と教養を映す鏡となります。
「無駄遣い」という言葉は、お金を持たない人の視点から見た判断にすぎません。
お金持ちが“無駄”に見える使い方をすることで、文化は守られ、職人の技は継承され、美しいものが次の世代に残っていくのです。
お金持ちは、無駄遣いをしないのではない。
「無駄に見えるもの」にこそ、惜しみなくお金を使うべき人たちなのです。
それが、真の「富の使い方」であり、社会への貢献であると言えるでしょう。



