CDを買うという体験を振り返る 〜ストリーミング時代に失われつつあるもの〜

コラム
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皆さんは「CDを買ったこと」がありますでしょうか?

おそらく25歳以上の方であれば、多かれ少なかれCDを購入した記憶を持っているのではないかと思います。特に1970年代から80年代に生まれた世代にとっては、思春期から社会人になるまでの長い時間をCDとともに過ごしてきたといっても過言ではありません。

しかし、いまや世の中には「一度もCDを買ったことがない」という世代が出てきています。すべての音楽がスマートフォンで手軽に聴ける時代、配信サービスに課金すれば何千万曲が聴き放題。そんな環境で育った子どもたちにとって、わざわざお店に行ってCDを買うこと自体が「未知の体験」になりつつあるのです。

そこで今回は、CDを購入するという行為の意味を振り返り、今のストリーミング文化と比較しながら、その違いや価値について考えてみたいと思います。


カセットからCDへ、そして配信へ

私は1989年生まれなので、世代的にはカセットテープ文化の末期を少しだけ知っている程度です。親世代にとっては、カセットに録音したり、ラジオから流れる音楽をダビングしたりするのが日常でしたが、私自身はすでにCDの全盛期に育ちました。

小学校から中学にかけては、CDを買って繰り返し聴くのが当たり前でしたし、友人の中にはMD(ミニディスク)に録音して「自分だけのプレイリスト」を作るのが趣味だった人もいました。MDコンポでタイトルを一生懸命入力していました。90年代後半から2000年代初頭は、まさにCDとMDのハイブリッド時代だったのです。

そして20代に入った頃から、少しずつ音楽の楽しみ方は変化していきました。

iPodやiPod touchが登場し、パソコンに取り込んだ音楽を携帯できるようになり、さらには現在のような「配信型の聴き放題サービス」へと移行していきます。SpotifyやApple Music、Amazon Musicなどが当たり前になった今、私たちは「音楽を所有する」のではなく「音楽をアクセスする」時代を生きているわけです。


シングルCDとアルバムCDの世界

CDを買うとき、当時は大きく分けて 「シングルCD」「アルバムCD」 がありました。

シングルCDは、よくドラマやアニメの主題歌として流行った楽曲が収録されていて、価格はだいたい1,000円前後。中にはカラオケバージョンや別アレンジ曲などがおまけとして入っていました。サイズも小さめで、手に取りやすい「入口」的存在でした。

一方でアルバムCDは、人気シングルを含む10曲前後を収録し、価格は3,000円前後。場合によっては2枚組や特別版で3,500円を超えるものもありました。

アルバムを買うときの楽しみは、収録曲の順番にありました。

例えば、最初の1曲目はそのアーティストの世界観を示す「幕開け」のような曲で、真ん中にはシングルで聴き慣れたヒット曲、最後には余韻を残すエンディング曲。まるで小説や映画のように、アルバム全体でひとつのストーリーを体験できたのです。

もちろん好きな曲だけを繰り返し聴くこともありましたが、まずはアルバムの頭から最後までじっくり聴き込む。それが当たり前であり、音楽を「作品」として味わう文化がそこにありました。


効率化された「今の聴き方」

それに対して現代の音楽配信サービスは、人気順のランキングや再生回数に基づいたアルゴリズムで曲が並びます。SpotifyでもApple Musicでも、アーティストのページに飛べば「最も再生されている曲」から表示され、聴く人は自然とそこから再生を始めます。

これは、いわゆる「タイムパフォーマンス」を重視するZ世代にとっては効率的です。短い時間で一番人気のある曲にアクセスできる。コストパフォーマンスならぬ「タイパ」が重視される今の時代には、理にかなった仕組みだといえるでしょう。

しかし、その一方で「効率化されすぎている」と感じることもあります。

たとえるなら、ショートケーキのいちごだけ先に食べてしまうようなもの。美味しい部分だけを味わえる反面、その前後にある生クリームやスポンジとのバランス、全体を通した完成度を楽しむ機会は失われます。


アルバムを通して聴くという贅沢

クラシックやオペラの世界では特に顕著ですが、有名な楽章やクライマックスだけを切り抜いて聴くと、その曲が持つ物語性や背景を理解できなくなります。前奏や静かな部分があってこそ、クライマックスの盛り上がりが映えるのです。

これはポップスやロックでも同じことが言えます。

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アーティストはアルバムの曲順を何度も練り直し、物語としての流れを作り出しています。ある曲が次の曲へとつながるように構成されていたり、歌詞のテーマが通底していたり。そうした「作品としての完成度」は、ランキング順の再生リストでは決して味わえません。

アルバムを最初から最後まで通して聴き、終わったら一旦音楽を止めて余韻に浸る。これは、まさに「CDを買って聴く」という行為そのものがもたらしていた贅沢な体験でした。


これからの「CD的な聴き方」

もちろん、もう一度みんながCDを買う時代が戻ってくるとは思いません。しかし「アルバムを通して聴く」という習慣だけは、ストリーミング時代でも取り戻せるのではないでしょうか。

例えば、好きなアーティストの最新アルバムを1曲目から順番に再生してみる。そして、最後の曲が終わったら自動再生をオフにして一旦停止し、余韻を感じる。これだけでも「CD的な聴き方」が再現できます。

それは、効率やタイパを超えた、作品を味わうための時間です。

音楽を「情報」として消費するのではなく、「作品」として向き合う。そんな余白を持つことが、むしろこれからの時代にとって大切なのかもしれません。

CDを買うという行為は、単なる「音楽を聴く手段」ではなく、作品を所有し、作品の順序や物語を体験する文化そのものでした。

今の子どもたちはCDを知らずに育ちます。しかし、ストリーミングがどれだけ便利になっても、アルバムを通して聴く楽しみは変わりません。むしろ、効率化された社会だからこそ「非効率に味わう」ことの価値が際立つのではないでしょうか。

CDを買って、家に持ち帰り、ジャケットを眺めながら再生ボタンを押したときのワクワク感。あの感覚を完全に再現することはできませんが、音楽を「作品」として味わう心だけは、これからも持ち続けたいものです。

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