オリジナルなき模倣

コラム
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「僕はこうしようと考えた。唖でつんぼの人間のふりをするんだ。そうすれば、誰ともくだらない無駄な会話をしなくて済む。やがてみんなすぐにうんざりして、僕は一生会話なんかしなくてよくなる。誰もが僕をただの哀れな耳も聞こえず口もきけないやつだと思って、放っておいてくれるだろう。」

“I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes. That way I wouldn’t have to have any goddam stupid useless conversations with anybody. They’d get bored as hell after a while, and then I’d be through with having conversations for the rest of my life. Everybody’d think I was just a poor deaf-mute bastard and they’d leave me alone.”
(J.D. Salinger, The Catcher in the Rye)

『攻殻機動隊S.A.C.』の笑い男が最後に語ったサリンジャーの言葉には、似たような一節が登場します。意識していたわけではありませんが、私がしばらくブログを更新していなかった理由と、どこかで重なる部分があるのです。

なぜなら、私はこう考えていたからです。
「世の中の大抵の悩みは、ChatGPTのような人工知能と対話すれば解決できてしまうのではないか」と。

半分は正解で、半分は間違いでした

確かに数学の問題や歴史的事実、DNAの構造や薬の作用など、すでに膨大なデータと知見が蓄積されているテーマに関しては、AIは驚くほど正確に答えを返してくれます。最先端の研究に近い情報までも、自然な言葉で提案してくれることさえあります。

しかし問題は、質問がマニアックになればなるほど、情報が狭まれば狭まるほど精度が落ちていくということでした。

ある日、AIの返答を読んで「なるほど、分かりやすい」と思ったのですが、その引用元を辿っていくと……なんと自分が10年前に書いたブログ記事だったのです。つまり、AIが「答え」として返してきたものの原典は、私自身の文章でした。

このとき強く思いました。
「誰かが一人称で書き続けなければ、世界にオリジナルは残らない」 と。

偽物の問題について

もう一つ、偽物の問題もあります。

ネットを見ていて「あ、これは偽物だ」と直感できる瞬間があります。たとえばニッチなブランド品やアンティーク家具など、細部を見ればすぐに「これは偽物だ」と分かる。しかし日本語圏では、そのことを具体的に指摘している人が驚くほど少ないのです。

一方で、英語や現地の言語で検索すると「これはフェイクだ」「コピー商品だよね」といった議論が、海外の小さな掲示板やフォーラムで盛んに交わされています。それを見つけるたびに、私は気づくのです。

「日本では、まだ偽物は存在していないことになってしまう」 と。

つまり、直感的に偽物だと分かる人は国内にも確実にいるはずなのに、誰も声を上げなければ「存在しないこと」になってしまう。そして、多くの人は「日本で売っているものは全部本物だ」と思い込み、疑うことすらしなくなります。

もちろん、スマホや人気ブランド品のように数万人単位のユーザーがいる商品であれば、レビューやSNSで自然に「偽物に注意」という声が集まります。しかしニッチな商品では、数十人や数百人の愛好家の中の誰かが発信しなければ、偽物は「存在しない」ままです。

絵画の世界も同じです。模倣品を「これは贋作だ」と断言する人がいなければ、人々はオリジナルしか存在しないと信じ込んでしまうでしょう。

だからこそ、誰かが善意で「これは偽物だから注意してください」と一度でも声を上げなければならないのです。そうでなければ、同じ被害が繰り返されてしまいます。

オリジナルなき模倣

ChatGPTのようなAIは、既にある情報を統合して「もっともらしい仮説」を提示することには長けています。けれども、そもそも情報が存在しないものに対しては答えを出せません。

だからこそ、人間がブログやSNSで一次情報を発信し続ける意味は決して失われないのです。

AIがどれだけ進化しても、たとえGPT-10に至ったとしても、オリジナルなき模倣は、オリジナルにはなり得ない。そう実感したからこそ、私は再びブログを書くことにしました。

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