地獄の門を見たことがありますでしょうか。
この投稿も面白いのですが、リプライに「こちら側が地獄だった」と書いている人がいて感心してしまいました。
俺が異世界から東京に侵略しなきゃいけなくなった場合は、上野公園の『地獄の門』から出現すると思う。
理由は、その方がカッコいいから pic.twitter.com/74VhQaVHJp— 秋野てくと (@arcnight101) September 23, 2025
世界に8体しかない《地獄の門》
オーギュスト・ロダンの代表作《地獄の門》La Porte de l’enfer は、実物大のブロンズ鋳造が世界に8体しかありません。そのうち日本には2体あり、ひとつは東京・上野の国立西洋美術館、もうひとつは静岡県立美術館に設置されています。
その他ではフランス・パリのロダン美術館、アメリカ・フィラデルフィアのロダン美術館、スイス・チューリッヒのクンストハウス、スタンフォード大学キャンパス、韓国ソウル、そして最後に2016年に公開されたメキシコのソウマヤ美術館にあります。これらは限られた場所にしかない特別な作品であり、石膏原型(いわば金型)はパリのオルセー美術館に収蔵されています。
私は長いあいだ静岡市に住んでおり、この美術館の近くで育ちました。そのため子どもの頃から何度も《地獄の門》を目にしています。正直、当時は興味があったわけではありませんが、それでも目に焼きついており、「ロダンの地獄の門」といえば今でも真っ先に静岡の作品を思い出します。
少し前までは《考える人》がテレビCMなどで軽やかに登場していたので、ロダンに詳しくない人でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
ダンテ『神曲』とのつながりと相違
《地獄の門》は、ダンテの叙事詩『神曲』からインスピレーションを得て制作された作品です。
門の上に配置された《考える人》は、ロダンの解釈では「ダンテ本人」であると同時に「人間一般を象徴する思索者」でもあります。
『地獄篇』第3歌には、地獄の入口に門があり、その上には有名な銘文
「Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate(汝ら、この門をくぐる者は一切の望みを捨てよ)」
が刻まれています。
Lasciateには捨てる以外にも、置いていくという意味が含まれているのですが、この場合は希望を捨てよが正しいかもしれません。
門をくぐると地獄が広がり、罪の軽重に応じて階層が下へと続きます。
下に行けば行くほど罰は厳しく、最下層には最も重い罪が処されます。こうした「地理的秩序」を伴った構造は、まるでボッティチェリが描いた挿絵のような、円錐状に掘り下がるアリ地獄を連想させます。

出典元:https://en.wikipedia.org/wiki/Divine_Comedy_Illustrated_by_Botticelli#/media/File:Sandro_Botticelli_-_La_Carte_de_l’Enfer.jpg
ところがロダンの作品では、まだ門を越えていないのに、すでに苦しむ人々が門の表面に張り付いています。そして何より、この門は「閉じられたまま」で決して開くことがありません。原典の門は「境界」であり、その先に罰と秩序が広がりますが、ロダンの門は入口そのものがすでに苦悩で満ちている。ここに強い違和感と同時に、近代的な解釈を読み取ることができます。
ボッティチェリはルネサンス的精神のもと、『神曲』を忠実に視覚化し、地獄を秩序立った空間として描こうとしました。それに対してロダンは19世紀末の芸術家として、『神曲』を再現するのではなく、普遍的な人間の苦悩を造形化することに重点を置きました。つまり、地獄は特定の罪人だけのものではなく、人間誰しもが抱える内的宿命である。門をくぐる前からすでに苦悩は始まっており、開かぬ扉は「出口のない苦難」を象徴しているのです。
ボードレールの影響と近代の「地獄観」
ロダンの解釈を支えたのは、同時代の文学の影響です。
特にボードレールの詩集『悪の華』は大きな着想源でした。ボードレールは、人間の欲望や罪、腐敗といった「地獄的なもの」を神学的秩序のもとで裁くのではなく、人間存在そのものに普遍的に宿る宿命として描き出しました。
ロダンはこの視点を取り込み、地獄を「罪の階層性」ではなく「人間の内面の苦悩」として表しました。その結果、《地獄の門》では門は閉ざされたまま、群像は内と外を区別することなく貼り付き、救済の道は示されません。そこにはダンテ的な「神の秩序としての地獄」ではなく、ボードレール的な「人間の内にある地獄」が造形されています。
こうしてロダンは、《地獄の門》を単なる挿絵の再現から超えて、近代における人間存在の象徴的な作品へと高めました。門に群がる苦悩の人々は、特定の罪人ではなく、私たち一人ひとりの姿を映し出しているのかもしれません。



