「東京のラグジュアリーホテル」は最高級ホテルではない?

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近年、Twitterやショート動画を中心としたSNS上には、超豪華な高級ホテルの写真や動画が日常的に流れてくるようになりました。

窓一面に広がる海、高層階から見下ろす東京の夜景、広大なリビングスペースに配置された巨大なソファ。それらに対して「住みたい」「一度でいいから泊まってみたい」「成功者の世界だ」といったコメントが並びます。

こうした反応自体を否定するつもりはありませんが、一方で、それらの憧れがどのような構造によって生まれているのかを、私たちはほとんど言語化できていないのではないかとも感じます。昨今、物事を否定的に見ることを減らそうと意識している中で、「なぜこれほどまでに惹かれるのか」と考えるようになりました。

本記事では、高級ホテルへの憧れを感情論で切り捨てるのではなく、空間構成、設計思想、素材選定、収益構造といった観点から分解し、どのように見ていけば整理できるのかを考えていきます。

立地の価値と豪華な眺望

まず、憧れが生まれる最大の要因は、圧倒的に分かりやすい「立地」と「眺望」です。

窓の先に広がる景色は、海であれ、都市景観であれ、視覚的に非常に強い情報を持っています。特に東京のような都市では、高層階から街をふかんできる空間自体が希少であり、その場所に滞在できるという事実が、そのまま社会的ステータスとして機能します。

実際、同等の立地条件でマンションを借りる、あるいは所有するとなれば、数億円や数十億円といった相当な資産や収入が必要になるのは現実です。この「自分には簡単には手に入らない」という前提条件が、景色への憧れを無意識のうちに増幅させています。

加えて、SNSというメディアは、この立地価値を切り取って流通させるのに極めて適しています。一枚の写真、数秒の動画で、空間の全体像よりも「成功の象徴」としての断片だけが消費されていくのです。

スイートルームという住宅モデルの再現

次に、インテリア、特にスイートルームの構造について考えます。

現在、スイートルームに宿泊しようとすると、アマン、ザ・リッツ・カールトン、マンダリンオリエンタル、ザ・ペニンシュラといった外資系の一級ホテルでは、1泊15万円〜40万円が一つの目安になります。さらにブルガリホテルのようなブランドホテルになると、50万円から100万円近い価格帯の部屋も存在し、面積も100〜300平米級に達します。

出典元:https://reservations.bulgarihotels.jp/

これらの部屋はスイート、エグゼクティブなど様々な名称が付けられていますが、「スイート(suite)」とは、甘美さ(sweet)ではなく「続き」「連続性」を意味します。つまり、寝室、リビング、ダイニング、場合によってはキッチンやサービスルーム、書斎といった機能が、明確にゾーニングされた住宅的構成を持っているということです。

このような空間分割は、1泊の非日常体験というより、1週間、1か月といった中長期滞在を前提とした合理的な設計であり、その「生活として成立している感覚」が、正統性や豪華さとして知覚されます。

ハワイのコンドミニアムのようにキッチンを備え、自炊を可能にする空間もありますが、ラグジュアリーホテルでは、レストランやルームサービスという外部機能を前提にすることで、あえてキッチンを排除し、空間の純度を高めるケースも多く見られます。

素材とスケールが生む高級感の演出

では、具体的にどのような要素が「分かりやすい高級感」を作っているのでしょうか。

まず象徴的なのが総絨毯です。部屋専用にデザインされたカスタムカーペットは、柄が複雑になるほど製作コストが跳ね上がり、部分補修が困難なため、ランニングコストも高くなります。これは高級ホテルでなければ成立しない仕様です。

壁材も同様で、廉価なホテルでは不織布系のビニールクロスが使われるのに対し、高級ホテルではイギリス製の紙壁紙や漆喰仕上げなど、意匠性と質感を優先した素材が選ばれます。照明計画も重要で、近年はミニマルなデザインが主流でありながら、実際にはデンマーク製などの海外プロダクトを中心とした、巨大で重量感のある照明器具が採用されることが多いです。

これは日本の住宅スケールでは成立しないサイズであり、その違和感こそが非日常性を強調します。家具についても同様で、ソファは極端に大きく、張地にはジャカード織や刺繍入りのファブリックが使われ、縫製や折りに手作業の痕跡が残されています。

カーテンは最低でも三つ折り、天井から床までのフルハイトで設えられ、天井高が高い場合には3メートル近い丈になることもあります。タオルのパイルの長さから織り方、スリッパやアメニティひとつとっても一流ブランドで揃えられています。

これらはすべて、スケールと素材によって「家庭では再現できない感覚」を生み出すための装置です。

究極のラグジュアリーが成立しない理由

しかし、こうした要素を積み上げた空間が、果たして究極のラグジュアリーかと言われると、私は疑問を感じます。
イタリアのナポリやローマには、もともと貴族が自ら住むために設計し、数世紀を経てホテルやB&Bとして使われている建物が存在します。これらは、収益計算を前提としたホテルとは根本的に思想が異なります。

貴族の邸宅は、予算無制限で設計されている場合が多く、トイレや浴室には最高級のイタリア産大理石が総張りされ、象眼細工によって絵画のような装飾が施されています。廊下の床材、壁材、金属の鋳物に至るまで特級品が使われ、17〜18世紀のアンティーク家具やヴィンテージ家具、当時収集された絵画がそのまま空間に残っています。

ベッドルーム、リビング、ダイニングは完全に分離され、食事の際には一度部屋を出て、巨大なシャンデリアが吊られたダイニングルームに集まる。冬には薪ストーブに常に薪がくべられ、彫刻入りの大理石床をハイヒールで歩けば、乾いた音が響く。19世紀のサン・ルイやバカラのドリンクセットが無造作に置かれ、「自由に使ってください」と言われるB&Bが、今なお現実に存在しています。

こうした空間と比べると、現代のラグジュアリーホテルは、どれほど高級であっても、収益構造の中で最適化された空間であり、限界が見えてしまいます。

部屋に入った瞬間、家具はカッシーナ・イクスシーやポルトローナ・フラウで50万〜100万円クラス、床材はこの価格帯、壁材はこの仕様、と概算できてしまう。最近ではB&B ItaliaやMaxalto(マクサルト)などモダン高級家具も採用されていますが、これらも価格換算できる製品です。

つまり、究極の高級ホテルとは、そもそも収益を目的として設計された空間では成立しにくいのではないか、特に東京のような都市ではなおさら難しいのではないか、という結論に至ります。

憧れて泊まることは自由ですが、無理をしてまで泊まる価値があるのか、それが本当に究極なのかは、冷静に分けて考えてもよいのではないでしょうか。

なぜ海外にはラグジュアリーホテルを超える贅沢があるのか

ここで、なぜヨーロッパには、これほどまでに豪華な空間や彫刻、美術品を備えた建物が今なお存在し、それがホテルとして機能しているのかについて、少し歴史的な視点から整理しておきたいと思います。

ヨーロッパにおける貴族階級の住宅、いわゆるパラッツォ(palazzo)やマナー・ハウス(manor house)、オテル・パルティキュリエ(hôtel particulier)は、主に中世後期から近世、具体的には15世紀から18世紀にかけて集中的に建設されました。この時代の建築は、居住性だけでなく、「家系の権威」「政治的影響力」「文化的教養」を可視化する装置としての役割を強く担っていました。特にルネサンス期(15〜16世紀)やバロック期(17世紀)には、建築・彫刻・絵画が明確に結びつき、建物そのものが総合芸術、いわゆるゲザムトクンストヴェルク(Gesamtkunstwerk)として構想されるようになります。

大理石の床や壁、象眼細工(インタルシオ、intarsio)、スタッコ装飾、天井画、フレスコ画といった要素は、単なる装飾ではなく、富と権力を永続的に示すための「固定資産」でもありました。当時の貴族にとって、金や宝石のような可動資産よりも、建築や美術品のような不動の造形物に富を変換することは、家系の存続を示す重要な戦略だったのです。そのため、素材選定には一切の合理性が求められず、カッラーラ産大理石や希少木材、青銅鋳物など、当時入手可能な最高級素材が惜しみなく使われました。

また、これらの建物は「人に見せる」ことを前提に設計されています。天井高が異常に高い空間、階段を上がった先に突然現れるピアノ・ノービレ(piano nobile:主階)、巨大なシャンデリアを吊るためだけに設計された吹き抜けなどは、日常生活としては非効率ですが、社交・舞踏会・政治的会合といった場においては極めて合理的でした。つまり、貴族住宅とは「住む家」であると同時に、「舞台装置」でもあったわけです。

では、なぜそれらがホテルになったのか。ここには19世紀以降のヨーロッパ社会の大きな構造変化が関係しています。フランス革命(1789年)を象徴とする市民革命、産業革命、そして二度の世界大戦を経て、貴族階級は急速に経済力を失っていきます。広大な邸宅は、相続税や維持費の負担によって個人所有が困難になり、多くが売却、分割、あるいは用途転換を余儀なくされました。

20世紀前半から中盤にかけて、こうした建物の一部は国家や自治体に接収され、美術館や公共施設となり、別の一部は富裕層や企業家、投資家の手に渡ります。その中で「建物の価値を壊さずに収益化する手段」として選ばれたのが、ホテルやB&Bへの転用でした。特に1960年代以降、文化財保護の意識が高まる中で、「歴史的建造物を保存しながら活用する」という考え方が一般化し、現代的な設備を最小限に挿入する形で宿泊施設として再生される例が増えていきます。

重要なのは、これらのホテルが「ホテルとして設計された建物」ではないという点です。もともと貴族の私的空間であったため、動線は非合理で、寒く、暗く、使いにくいことも多い。しかし、その不合理さこそが、現代の合理的に設計されたラグジュアリーホテルとは決定的に異なる魅力を生んでいます。床の大理石に刻まれた摩耗の跡や、数百年前の家具に残る使用痕、説明のつかない装飾の過剰さは、すべて「人が生きた時間の堆積」として空間に刻み込まれています。

こうした歴史を踏まえると、現代のラグジュアリーホテルと、ヨーロッパの元貴族邸宅を転用したホテルとでは、「豪華さ」という言葉が指しているもの自体が異なることが分かります。前者は、管理された快適性と均質な体験の上に成り立つラグジュアリーであり、後者は、非合理で不均質な歴史そのものを内包したラグジュアリーです。私たちがSNSで目にする「憧れ」の多くは前者ですが、その奥には、こうした時間と思想の積層によって生まれた別種の豪華さが、今も静かに存在しています。

この違いを理解した上でラグジュアリーホテルを見ると、単なる価格や広さでは測れない、もう一段深い視点で空間を捉えられるようになるのではないでしょうか。

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