時は2003年──。
「合併すれば、税収も増えるし、格も上がるし、なんかこう…カッコいいんじゃないか?」
そんなノリで静岡市と清水市が合体し、政令指定都市の座を狙ったのがこの年だった。
静岡市「よし、市の増収を狙って合併するぞ!」
清水市「お、おう…(マジかよ)」
ピカーン!!
新・静岡市(葵区・駿河区・清水区)
「やったぜ!!これでウチらも都会の仲間入りだ!」
だがその後、何が起こったのか。
人口は減り、街は老い、若者は去り、駅前にはパチンコ屋とドラッグストア。
気づけば「政令指定都市」の看板だけが残され、静岡市は、静かに衰退の道を歩んでいた――。
人口が減り続ける静岡市
静岡市は、現実を直視することなく、政令指定都市を目指して無理に合併を進めました。
政令指定都市の条件には、「人口80万人以上、かつ将来的に100万人規模の発展が見込まれること」とされていますが、合併後も人口は減り続けるばかりです。魅力的な都市形成に失敗し、行政サービスや自治の質も低下の一途をたどっています。地元経済は地主や古い商慣習に縛られ、一部の企業だけが恩恵を受ける構造が続き、ついにはメガバンクでさえ支店の統廃合に動いています。
都市の活力を支えるはずの教育機関――とりわけ大学や専門学校の充実度が低く、静岡市で育った若者の多くは東京や名古屋へと流出しています。地元に残るのは、選択肢の乏しい高卒就労者が中心となり、県内で最も偏差値が高いとされる静岡大学の卒業生ですら、その多くが静岡銀行、スルガ銀行、静岡鉄道、トーカイ、スズキ、鈴与、ジャトコといった限られた地元企業に就職するのが現状です。これでは人口流出に歯止めがかからないのも無理はありません。
さらに不可解なのは、静岡県内に6つも新幹線駅があるにもかかわらず、県庁所在地である静岡駅に「のぞみ号」が停車しないという事実です。驚くことに、「ひかり号」でさえ静岡駅を通過し、浜松駅のみに停車する便も存在します。JR東海にとっても、静岡市は十分な利用者数が見込めない、優先度の低い都市として扱われているのでしょう。
ここでは、こうした静岡市の失策や、衰退の要因について改めて考えていきます。
大失敗に終わった東静岡駅開発
静岡駅から約3キロ離れた場所にある「東静岡駅」は、まとまった土地を確保できる希少なエリアとして注目され、「東静岡周辺地区『文化力の拠点』形成検討事業」の対象にも選ばれていました。グランシップを中心に、広く美しく整備されたタイル貼りの歩道や広場は、まるで横浜の「みなとみらい」のような洗練された都市設計を彷彿とさせます。駅構内や動線も、グランシップでの大規模イベントに対応できるよう、数千人規模の利用を想定して広々と設計されています。
しかし残念ながら、景観保護や出店誘致への配慮がなされなかった結果、駅前には「洋服チェーン店」「巨大なドラッグストア」、そして雰囲気を損なう「大型パチンコ店」が立ち並び、カフェすら一軒もない状態となっています。用途区分の調整や市街化区域の指定など、都市計画の根本がうまく機能しなかった典型例です。
お洒落な歩道が整備されていても、その周辺に魅力的な店舗が存在せず、景観は雑然としていて台無し。こうした行政の失策が、はっきりと表れてしまっています。さらに近年では、もともと湿地帯だった土地にタワーマンションが乱立し、景観の調和はますます失われつつあります。
もし静岡市民に「東静岡駅についてどう思いますか?」と尋ねたなら、多くの人が「残念だったね」と答えるに違いありません。
呉服町のチェーン店加速
1980〜90年代、静岡市ではコンビニ(ローソン)の出店に対し、地元商店街や疋野眼鏡店などが中心となって強硬に反対運動を展開していました。それだけでなく、過去には大型ショッピングセンターの出店計画に対しても拒否の姿勢を貫き、イトーヨーカドーの建設計画が大幅に縮小されたことは有名です。
静岡市は長年にわたり、極めて閉鎖的な姿勢でコンビニやショッピングモールの進出を拒み続けてきました。商工会議所や地元組合は「既存の商店を保護するため」という大義名分を掲げていましたが、実際にその商店を支えるのは他でもない“地元の消費者”です。時代の変化に合わせた変革を怠った結果、取り残されてしまったと言わざるを得ません。

この閉鎖性は、呉服町通りの賃貸事情にも顕著に現れています。築50年以上にもかかわらず、わずかな坪数で月額賃料が100〜150万円と、東京の一等地並の強気な価格設定がされており、さらに敷金として10ヶ月分を求められるケースもあります。これは、もはや「貸す気がない」と言われても仕方のない条件です。
その結果、地元で新しくお店を開きたいという意欲ある若者や個人事業者は出店を断念せざるを得ず、資金力のある大手チェーン店だけが進出できる構造となってしまいました。
1990年代には個人店が軒を連ねていた呉服町も、現在ではコンビニ、大手ドラッグストア、居酒屋チェーン、ゲームセンターといった顔ぶれが密集し、かつての風情や個性は見る影もありません。商工会や地元組合は、結局のところ自分たちの保身を最優先してきただけであり、「静岡市を本気で発展させたい」という意志が本当にあったとは思えません。
もし本気で個人商店の育成を掲げていたなら、外資系チェーンを拒否するだけでなく、地元の若者たちの出店を支援し、実現可能な賃貸条件や制度を整えるべきだったのではないでしょうか。

静岡伊勢丹の前にある”辻の札クロス”
静岡伊勢丹の正面にそびえる「辻の札クロス」。これほど滑稽な都市開発は、全国的に見てもなかなか類を見ないかもしれません。
その立派な外観から、誰もが「さぞや最新の商業施設か何かだろう」と思うはずです。なにせ、静岡県最大の商店街のど真ん中に建っているのですから。
しかし正解は――高齢者向け住宅「グランステージ シャングリラ」。
いわば高級老人ホームのようなもので、入居時に数千万円を支払い、月々20〜30万円ほどで食事付きの生活が提供されるそうです。誰が、百貨店の目の前にこれほど高額な高齢者住宅が建つと想像したでしょうか。
これが現在の静岡市の象徴なのです。もはや、街にお金を持っているのは高齢者だけであり、その現実をそのまま具現化したような建物とも言えるでしょう。
1階のショーウィンドウに並ぶ店舗もまた象徴的です。「カバンの池田屋」「すみやグッディ」「ザ・スーツカンパニー」「デジタル補聴器のサガワ」――いずれも無難で、見慣れた顔ぶれです。
せっかく大型の複合施設を建てたにもかかわらず、テナントにはESTNATION(エストネーション)はおろか、SHIPSやTOMORROWLANDすら入ってきません。ファッション感度の高いブランドは影も形もなく、結局は量販スーツ店と補聴器販売、という構成です。
これでは、「商業の未来を担う街づくり」ではなく、「限界を迎えた都市の縮図」と言わざるを得ません。呉服町再開発の象徴的失敗例として、強く印象に残る一件です。
七間町は誰が殺した?
1990〜2000年代まで、風情ある“シネマストリート”として賑わっていた七間町は、今や3分の1以上がシャッターを閉じた“シャッター街”へと変わってしまいました。かつては映画館が4〜5軒も並び、「どの映画を観ようか」とデートや家族連れで賑わっていた、そんな記憶が今も鮮やかに残っています。
もちろん、時代の流れという側面は否定できません。しかし七間町の衰退を招いた最大の要因は、シネマ・コンプレックスの登場、そしてその中心にある「新静岡セノバ(静岡鉄道)」であると言えるでしょう。
静岡市の中心商店街は旧東海道に沿って展開し、今川氏、徳川氏以来、城下町として数百年にわたり栄えてきました。その中で七間町は明治以降、芝居小屋から映画へと市民に娯楽と文化を提供し続けてきた特徴ある存在です。
静岡市の中心商店街は商業施設のみでなく、バランスよく様々な施設が配置されされることにより、商業と文化が程よく融合し、回遊性を持つ『文化的繁華街』となっています。静岡市民はこのような中心商店街を支持し、応援し、いつまでも『繁華街』として発展していくことを心より願っています。
さて今回の新静岡駅再開発計画は交通アクセスの利点を最大限に生かした一点集中型の開発計画であり、静岡が長年にわたり育んできた街の歴史的特性を無視して中心商店街の賑わいを衰退させるという、独善的な開発計画であり、市街地全体の活性化と各地区の役割についての哲学が感じられないことが誠に残念です。
引用:http://7town.jp/modules/contents/index.php?content_id=18
しかしその声もむなしく、新静岡セノバには最新設備の大型シネコンが建設され、七間町に残された映画館はわずか1館のみ。しかもそれすらも風前の灯火です。
皮肉なことに、静岡市はフランスのカンヌ市と姉妹都市であり、毎年「カンヌ映画祭」と同時期に「シズオカ×カンヌウィーク」という華やかな映画イベントを開催しています。商店街も一時的には賑わいを見せるものの、肝心の七間町には映画館がほとんど存在しないという本末転倒な状態。残されたのは、再開発で建てられた高層マンションだけです。
七間町だけでなく、浅間通りや鷹匠通りも同様に衰退の一途をたどり、呉服町通りもすでに見たようにチェーン店ばかり。鷹匠通りに至っては、新静岡駅から徒歩1分という好立地であるにもかかわらず、シャッター街と化しています。
そして極めつけは、SuicaやPASMOなど全国共通の交通系ICカードが使えない、独自規格の「ルルカカード」。バスや電車だけでなく、スーパーまでもがこのガラパゴス的システムに囲われ、市外の人には使い勝手の悪いインフラが形成されてしまいました。
地元商店街や商工会が既得権益を守るために閉鎖的な姿勢をとっているのはすでに述べたとおりですが、セノバもまた、その一点集中型開発によって七間町を衰退へと追い込んだ“戦犯”であることは間違いないでしょう。
静岡東急スクエアというゾンビ
伝馬町にある「静岡伝馬町プラザビル」は、もともと「生活創庫静岡店」という総合専門店が入っており、ライブアピタ静岡が運営していました。しかし2000年、採算の悪化により撤退。その後は「FIVE-J」という若者向けファッションビルとして生まれ変わり、当時は都内から「Baby」などの人気店が出店するなど、一時的に賑わいを見せていました。
2007年には、株式会社東急モールズデベロップメントが施設を借り受け、「SHIZUOKA 109」をオープン。渋谷109を模したような若者向けファッションビルとして再スタートを切りました。
しかしこれも長続きせず、採算の悪化を理由に撤退。後継施設として開業したのが、現在の「静岡東急スクエア」です。
ところがその実態は、「ファッションビル」とは名ばかり。入居テナントには、セカンドストリートのような中古衣料店、低価格帯ブランドのハニーズやマックハウス、さらにはファッションセンターしまむらまでが入っており、かつての“109の夢”は見る影もありません。
他にも100円ショップのダイソー、ファミレスのサイゼリヤ、レンタルショップのゲオなど、まるで郊外のジャスコのようなラインナップ。静岡市の一等地とは思えない光景が広がっています。
隣接するマルイも例外ではなく、ネットで見かけるような“怪しい健康グッズ”を販売する店がテナントとして入っているなど、施設全体のブランドイメージは大きく損なわれています。
「ここまで来たか…」と、思わずため息が出るのも無理はありません。
“死人が生き返って彷徨うもの”を「ゾンビ」と呼ぶなら、かつて死んだファッションビルに大手チェーン店を詰め込んで無理やり動かしているこの「静岡東急スクエア」は、まさに都市型ゾンビと呼ぶにふさわしい存在でしょう。
今後、静岡市はどうなるのか
今後も、静岡市を離れる若者は後を絶たないでしょう。その一人ひとりの“静岡を去る”という選択が、ゆっくりと、しかし確実にこの街を蝕んでいくのです。
若者に挑戦させない空気、閉鎖的な商習慣――こうした構造的な問題は、今後もしばらく続くと見られます。具体的な組織名は挙げられませんが、耳にする限りでは、ある不動産会社や特定の団体が、いまだに静岡市で権力を振りかざしているという話も散見されます。
ここまで静岡市の問題点について厳しい言葉を重ねてきましたが、一方で、この街を良くしようと真剣に取り組んでいる人たちも確かに存在します。呉服町、鷹匠、紺屋町、両替町などで奮闘する小さな個人店や地域コミュニティ、あるいは安倍川の向こう側でスタートアップに挑戦している若者たち――彼らの姿勢には、希望を感じずにはいられません。
この地を離れた私にとって、もはや直接手を貸すことは難しいかもしれません。それでも、静岡に残って暮らす皆さんには、根強く残る悪しき慣習や空気に流されることなく、どうか信念を持って歩みを進めていただきたいと願っています。
※本記事は、筆者が個人で調査・取材・体験したことをもとに執筆しています。
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