【裁判傍聴ノート】覚醒剤と愛情の間で

コラム
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5年ほど前から裁判所で公判を傍聴していますが、その中で特に印象的な裁判がありました。
実際の事件ではありますが、プライバシーに配慮しつつ、何が問題だったのか考察してみます。

この事件は「覚せい剤使用罪」に関するもので、40代の女性が覚醒剤の所持・使用で起訴され、公判が行われました。
覚醒剤の恐ろしさは誰もが知るところであり、「一度でも使えば人が壊れる」と教えられます。
しかし、それを言葉で聞くのと、実際に再犯を繰り返した被告人を数メートル先で見るのとでは、まったく重みが違います。

検事が「あなた、今ご自身が震えているのが分かりますか?」と尋ねると、被告は「離脱症状で、たまに震えることがあります」と答えました。
手足は小刻みに震え続けており、その震えを本人が自覚できていないという事実に、傍聴席からでも底知れぬ恐怖を感じました。

一度覚醒剤を打つとやめられない――それもまた現実です。
「あなたは平成27年8月の法廷で“二度と覚醒剤はやらない”と宣誓しています。その前の平成24年10月にも同様の宣言をしています。なぜ刑務所に収監されてもなお、再び使用してしまったのですか?」
このような質問が繰り返されても、被告の答えは「心が弱かったからです。もうしません」と、まるで反射的に繰り返すだけでした。

検事は、単純所持にしては量が多いことや、パケ(ジッパー袋)、電子ばかりの存在を根拠に、譲渡や営利目的の疑いを追及していました。
一方、弁護人は「刑務所での悪い仲間がきっかけとなった」「出所後に知人から“吸引器に詳しい女がいる”とそそのかされ、犯行に及んだ」「施設に預けている娘がいる」といった情状を述べました。

僕の印象では、その弁護人は国選弁護人のように見えましたが、検事に対して鋭い指摘を行う場面もあり、被告人には同情的で、どこか人間味のある人物でした。
雰囲気からして、被告人とは以前から面識があるようでした。

裁判も後半に差しかかった頃、まるで映画のような場面が訪れます。
検事が「なぜ売人をかばい続けるのですか?」と問うと、被告は突如、「私は覚醒剤をやめます。その証拠に、今ここで売人の名前を明かします!」と声を上げたのです。

傍聴席にいた誰もが、「これは弁護人の作戦だ」と察していたと思います。
それでも、初めて目にする迫真のやり取りに、僕は息を呑みました。
心の中で“名探偵コナン”のように「売人の名前は佐藤太郎だ!」「な、なんだって!」という展開を想像しましたが、実際の裁判官や検事は慣れたもので、「漢字はどう書きますか?」「LINEに登録されていた“マルバツ”という人物で間違いないですね」と淡々と処理していきます。
それでも、ほんの100分の1ミリほどは裁判官の心証に良い影響を与えたはずです。

「すごい裁判を見た」と感心していた僕を、さらに驚かせたのはその後でした。
弁護人は被告人に向かって、
「お子さんは16歳で施設にいるんですよ?」「会いたくないのですか?」「刑務所に入ったら、次はいつ会えるか分かりませんよ?」
と、まるで親のように強い言葉で説教を始めたのです。
涙をこらえながら頷く被告の姿は痛々しく、傍聴席の空気さえ重く感じられました。

そして、検事が「再犯の可能性も高く、身元引受人もいない。相当の厳罰が適切」と述べた直後、弁護人は静かにこう言いました。
「私が監督します。刑務所にいる間、私の事務所で家具や荷物を預かります。どういう意味か分かりますね? どれほど多くの人に迷惑をかけ、子供がどんなに会いたがっているか、しっかり反省してください。」

その瞬間、法廷の空気が変わりました。
「こんな弁護人がいるのか」と、胸が熱くなったのを覚えています。

きっと彼は家族や子供を持ち、親が子に注ぐ愛情の意味を、人生の中で深く理解している人なのでしょう。
被告が単身でなければ、ここまで心を寄せた弁護はしなかったかもしれません。

法律に関心のない人からすれば、「弁護士=金の亡者」「犯罪者を無罪にする人」という誤解を抱きがちです。
確かに、金がすべてという弁護士も存在するでしょう。
しかし、この日の法廷では、“人としての愛情とは何か”を教えられた気がしました。

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